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2023.9.6

【門跡寺院 格式と継承】大覚寺(京都)

重要文化財「大覚寺正寝殿」の御冠の間(奥)

門跡寺院は、皇室、公家と深い関わりを持ち、支援を受けながら、文化継承の役割を担ってきた。戦乱、明治維新による存続の危機を乗り越えて、さらに歴史と独自の文化を将来へ伝えるべく、新たな歩みを始めている。仁和寺にんなじはゆかりの深い焼き物など工芸品の振興を支援し、大覚寺だいかくじは大学を運営し次世代のアーティストを育てる。皇統につながる青蓮院しょうれんいん・東伏見慈晃門主、聖徳太子の心を伝える中宮寺ちゅうぐうじ・日野西光尊門跡には、門跡寺院が守り伝えてきた伝統と歴史、これからを聞いた。

 
 

嵯峨天皇書写の般若心経

 

「自分の代で絶やしちゃいけない、そういう覚悟が大切。人と人でつないでいかなければ、本当のことは伝わっていかない」と、大覚寺(京都市右京区)の第65世・山川龍舟門跡(74)は話す。

大覚寺の山川龍舟門跡

大覚寺は、平安時代の初め、嵯峨天皇が離宮嵯峨院を置いた地に、皇女・正子内親王の発願で876年に創建された。以来、明治維新を迎えるまで、皇族、公家を門跡に迎えてきた。

嵯峨天皇は中国の唐風文化を好み、唐に留学した空海とも親交が深かった。山川門跡は「天皇と空海が月をでた大沢池は今も残る。池に咲く菊の花は、いけばな嵯峨御流ごりゅうにつながっています」と言う。

嵯峨天皇が818年、都に疫病が流行した際に書写したという般若心経は、唯一無二の「本尊」として大切に守り継がれてきた。2018年には、藍色に染めた絹地に金泥で本文をしたためた複製を約1年半をかけて作るなど、後世につなぐ取り組みも進めている。開封は60年に1度、次は2078年に公開を予定している。

重要文化財「大覚寺宸殿」

境内には、重要文化財「宸殿しんでん」などが並ぶ。内部は門跡寺院にふさわしいみやびなしつらえで、牡丹ぼたんの間などには桃山から江戸にかけて活躍した狩野山楽が描いた襖絵ふすまえがある。正寝殿の御冠の間は、後宇多天皇が冠を傍らに置いて公務にあたったと伝わる。

宸殿の重要文化財「牡丹図」 狩野山楽筆
正寝殿の重要文化財「野兎図」 渡辺始興筆
大沢池に浮かべた舟から名月を楽しむ

◇     ◇     ◇

「人と人でつないでいく」という思いは教育の取り組みにもつながっている。大覚寺は1971年に嵯峨美術短期大学を設立し、2001年から4年制大学を発足、これまでの卒業生は合わせて2万人を超える。伝統的な美術からアニメーションやコミックアートまで幅広いカリキュラムが人気を呼び、受験者数は年々増えているという。

嵯峨美術大学の佐々木正子学長

佐々木正子学長は「伝統文化の継承と新しい時代にふさわしい芸術の創造を心がけています」と話す。

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館(福井市)で障壁画14面の復元模写を制作したり、京都済生会病院(京都府長岡京市)の小児科病棟の壁面を飾るアート作品を描いたり、社会貢献にも力を入れるなど活動は幅広い。

「学生にはアートの力で社会を明るく、楽しく、美しくすることを学んでもらい、地域の皆さんにも感じていただければ」というのが佐々木学長の願いだ。

(2023年9月3日付 読売新聞朝刊より)

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