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2025.12.24

【工芸の郷から】紀州箪笥たんす(和歌山県)― 丈夫・美麗な桐 欧州も魅了

和歌山県を代表する伝統工芸品「紀州箪笥たんす」は、きりの高級家具で、装飾性と耐久性を併せ持つ。中の湿度が一定で防虫効果も高いことから、衣服の保管に適している。

木目が美しい紀州箪笥

紀州桐箪笥協同組合によると、紀州徳川家の歴史をつづった「南紀徳川史」には、1846年に落雷のため和歌山城が焼け、長持ちなどの道具類を作り直したとの記述がある。江戸末期には城下で製造技術が確立されていたらしい。

山で切り出した木材は紀の川を下り、河口の和歌山市周辺には高い技術をもつ職人が集まった。とりわけ白い無垢むくの桐たんすは、嫁入り道具として重宝された。明治以降は交通網の発展に伴い関西を中心に売り上げを伸ばし、1980年代には約100社が紀州箪笥の製作に携わったという。

バブル崩壊とともに婚礼の調度品をあつらえる文化が廃れ、今は組合に加盟する3社のみとなった。

〔2025年〕11月、紀の川市の「家具のあづま」を訪ねた。作業場には桐を削るシュッ、シュッという音と、柔らかい木の香りが広がる。かんなを手にした5代目の東福太郎社長(44)は「桐の木は内部に空洞が多く、衝撃や火気からも衣類を守ってくれる。母のような優しさを感じます」といとおしそうに語る。

かんなで桐を削る東さん(和歌山県紀の川市で)

1891年創業の同社は、4代目の時に材木業から家具製造業に転換。福太郎さんは小学生の頃から「世界一の桐たんす職人になる」と言い、大学卒業後、京都で京指物を学んだ。木工芸の人間国宝、黒田辰秋の右腕だった内藤邦雄のもとで技を磨き、2006年、故郷に戻って家業を継いだ。

紀州箪笥の製造は四つの工程からなる。木材を選定し乾燥させる「造材」、部材に合わせたサイズに切断する「加工」、垂直に組み合わせる板の端に凹凸の切り込みを入れて接合し、木くぎを打ち込む「組み立て」、かんなで削り、木目を際立たせるために塗装したり金具を取り付けたりする「仕上げ」。最後のかんなで削る作業には100分の1ミリ、1000分の1ミリ単位の精度が求められるという。完成品は淡い色調が上品で、引き出しは驚くほど軽く滑らかだ。

本業のたんす作りを支えようと、16年から桐のまな板やグラスなどのブランド「ME MAMORU」を展開し、国内だけでなく欧州にも販路を拡大している。「これがなければ廃業していたかもしれない。ME MAMORUをきっかけに海外から紀州箪笥を直接買いに来てくれるお客さんもいる」と手応えを語る。

「ME MAMORU」のテーブルウェア。コップや椀(わん)など種類も多彩だ

妻・ちあきさん(43)は22年に女性初の紀州箪笥の伝統工芸士(塗装部門)に認定された。従業員の若者2人も、伝統工芸士を目指す。

東社長は「高級路線で勝負すれば、世界でも負けない。伝統と技術を引き継ぐために、来る者拒まずで人材を育てていきたい」と言う。(大阪文化部 辰巳隆博)

(2025年11月26日付 読売新聞朝刊より)

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