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2025.11.27

【工芸の郷から】長崎べっ甲(長崎県)― 繊細な透かし彫り 磨き上げ

透明でありながら深く、滑らかなあめ色や黒色をたたえる「長崎べっ甲」は、かんざしやペンダントなど高級アクセサリーとして知られる。材料はウミガメの一種、タイマイの甲羅で、その美しさは、職人の熟練の加工技術によって磨き上げられる。

ぶどうとリスをモチーフにしたかんざし

一軒家の一室に設けた工房に、フッ、フッと息を吹く音が響く。長崎市の「藤田べっ甲」の3代目、藤田誠さん(79)が彫刻刀でべっ甲を加工する際、削りかすを吹き飛ばす音だ。研磨する際に生じる焦げたようなにおいも周囲に漂う。

べっ甲は、複数の甲羅を重ね合わせ、熱や圧力をかけて接着し、加工成形、研磨という工程を経て生み出される。「制作は作品に適した色柄の甲羅を選ぶところから既に始まっています」と藤田さんは言う。業界では分業が一般的な中、デザインも含めて一連の工程を一人で行っているのは藤田さんだけという。

甲羅は背中、腹、縁などの部位で色合いが異なり、組み合わせると多層的な表情が生まれる。重ねた甲羅をぬらした布でくるんで木の板で押さえ、その外側から120度ほどに熱した鉄板で挟み、万力で締め付ける。「継ぎ目の分からないきれいな1枚に仕上げるのが腕の見せ所」と語る。

精巧にべっ甲を彫る藤田さん

藤田さんは40年前からブランド「喜山きざん」を手がける。透かし彫りの繊細さ、美しさから、全国各地に愛好者がいる。彫りは一定のリズム。直線も曲線も迷いがない。「ここまで細かく彫れるのは自分くらい」と自負をのぞかせる一方、「満足のいく作品を創るのは本当に難しい」とも述べ、向上心は衰えない。

長崎べっ甲が生まれたのは江戸時代前期。鎖国下の出島での貿易でタイマイの甲羅がもたらされたのが始まりとされる。長崎を代表する工芸品となったが、ワシントン条約により野生動植物の国際取引が規制され、1990年代前半にはタイマイの甲羅を輸入できなくなった。それ以降、在庫を使って制作している。藤田さんによると、60年代は県内に300業者がいたが、現在は20業者ほどまで減ったという。「将来の保証はできないので、若い人には簡単に勧めることはできない。自分は求める人がいる限り、作り続けるだけです」としみじみと語った。(西部文化部 井上裕介、写真も)

(2025年9月24日付 読売新聞朝刊より)

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