日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2025.9.30

【工芸の郷から】伊勢型紙(三重県鈴鹿市)― 小刀で彫る「極小の美」

伊勢型紙を彫る金子さん。「余計な力が入っていると続かない」=尾賀聡撮影

友禅や小紋の着物を彩る柄に、型紙を使って染められるものがある。伝統的な染色技法、型染めの型紙作りを担ってきたのが、伊勢湾を望む三重県鈴鹿市の白子しろこ寺家じけ地区だ。優美な草花文様に、研ぎ澄まされた幾何文様――。19世紀英国の芸術家ウィリアム・モリスも愛した伊勢型紙。「極小の美」に、若い世代が挑んでいる。

産地では、風鈴などデザインを生かした商品開発も進む

天板が傾いた「あて場」に顔を近づけた金子仁美さん(27)が手元をフッと吹くと、砂粒のような彫りくずが舞う。伊勢型紙は、数枚の和紙を柿渋で貼り合わせた型地紙を重ね、彫刻刀のような小刀で彫る。金子さんは、四つある彫刻技法のうち「錐彫きりぼり」の職人。刃先が半円形の小刀で彫った穴を連続させ、精密な文様を作り出す。

彫っているのは、穴が斜めに連なる「行儀」で、着物になると遠目には無地に見える。「さめ」「通し」と共に、粋を身上とする江戸小紋を代表する柄だ。「同じ角度で彫らないと穴が重なってしまう。そうなったら、終わり」と気を張る。

江戸小紋の代表的な柄「行儀」を彫っていく

1センチ角に100の穴を彫る究極の技が「極鮫ごくさめ」だ。「いつかは彫れるようになりたい」と憧れつつ、「まだまだやな、という感じ。穴が不ぞろいで、染め屋さんに『ムラがあるね』って言われちゃうことも」。伊勢型紙は、江戸時代にこの地区を領地にした御三家の紀州藩(和歌山県)に保護され、全国に流通した。秘伝の技は親から子へ世襲され栄えたが、昭和の高度成長期を境に着物の需要が激減、プリント技術も普及し廃業が相次いだ。今残る職人は約20人、多くが80代。伊勢形紙協同組合など地元の団体は、研修生を受け入れて技の継承に努める。

群馬県出身の金子さんもその一人だ。高校3年の秋、テレビ番組で見た繊細な美しさに一目ぼれした。「一度きりの人生、好きなことを仕事に」と、京都伝統工芸大学校で和紙について学んだ後、鈴鹿に移住。「錐彫り」の名人、宮原敏明さん(85)のもとで5年間修業を積み、自宅を工房に独立して2年たつ。クラウドファンディングで資金を募り、型紙の文様をあしらった水筒を作って販売するなど、伝統的なデザインの生かしどころも模索する。

1週間のうち3日は、印刷会社の会社員としてフルタイムで働く。「インスタを見ると、東京で暮らす同級生はパンケーキを食べてキラキラしてて。こんな道もあったのかな」。揺らいだのは過去の話だ。「いろんな柄を彫れるようになる。そして、いつか師匠みたいに、誰かに伝える側になる。それが私にとっての『王道』です」(文化部 山田恵美)

(2025年8月27日付 読売新聞朝刊より)

Share

0%

関連記事