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2025.7.2

【工芸の郷から】松本民芸家具 ―「民芸」に感銘 伝統生かし復興(長野県松本市)

英国風の椅子やテーブルなど洋家具のほか、伝統的なじょうたんすや座卓など和家具も制作する。レギュラー製品だけで約800種、準レギュラーを含めると約2000種のバリエーションを持つ。

看板商品となってきたウインザーチェア

秀峰連なる北アルプスを望む「岳都」松本。豊富な木材と雨の少ない気候を生かし約400年前から和家具が生産されてきた。大正末期には日本一の生産高を誇るほど栄えたが、太平洋戦争でほぼ休止状態に追い込まれた。

松本民芸家具は民衆的な工芸「民芸」という言葉を広めた思想家の柳宗悦むねよし(1889~1961年)と深い縁がある。創業者の池田三四郎(1909~99年)は松本市の呉服屋に生まれた。上京し写真家として活躍したが、戦時中に実家が始めた建材業を手伝うため帰郷。敗戦後の激しいインフレなどに苦しんでいた1948年、柳に巡り合った。

食糧にも事欠く時代に、手工芸の技と心を未来につなごうと尽力する姿に感銘を受けた。途絶えかけた松本の木工業復興のため散り散りになった職人を集め、次代に必要とされる洋家具作りを志したという。

民芸運動は土地の素材を用い、無名の職人の手から生み出される暮らしの道具に美を見いだした。その精神を受け継ぎ、国産のミズメザクラを主に使い、職人が組み手や継ぎ手の技を継承して仕上げている。虎の模様に似た虎斑とらふと呼ばれる木目や、塗り重ねたニスが生み出す深い茶色が特徴だ。

創業当初からの看板商品が椅子。洋家具などほとんどの人が見たことがない時代に、英国の古いウインザーチェアの忠実な習作から始め、失敗を重ねながら完成度を高めた。三四郎の妻キクエが中心となり開発したラッシ(い草の一種)編みの椅子もファンが多い。柳をはじめ木工の安川慶一や陶芸のバーナード・リーチら民芸運動の指導者たちが松本を訪れ、製品開発などに助力を惜しまなかったという。

松本民芸家具を制作する職人

近年では生活様式の変化に伴う家具離れで、職人数はピーク時の3分の1にまで減った。ただ三四郎の孫の素民もとたみさん(57)は創業から約80年がたった今、世代を超えて受け継がれる松本民芸家具の真価を知る機会が増えているという。磨き込み黒光りする「我が家の家具」を自慢する愛用者や、亡き父の面影を椅子に見いだす家族らを目の当たりにしてきた。「家具は人生に寄り添うもの。これからも愚直に作り続けたい」

(文化部 竹内和佳子)

(2025年6月25日付 読売新聞朝刊より)

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