英国風の椅子やテーブルなど洋家具のほか、伝統的な
秀峰連なる北アルプスを望む「岳都」松本。豊富な木材と雨の少ない気候を生かし約400年前から和家具が生産されてきた。大正末期には日本一の生産高を誇るほど栄えたが、太平洋戦争でほぼ休止状態に追い込まれた。
松本民芸家具は民衆的な工芸「民芸」という言葉を広めた思想家の柳
食糧にも事欠く時代に、手工芸の技と心を未来につなごうと尽力する姿に感銘を受けた。途絶えかけた松本の木工業復興のため散り散りになった職人を集め、次代に必要とされる洋家具作りを志したという。
民芸運動は土地の素材を用い、無名の職人の手から生み出される暮らしの道具に美を見いだした。その精神を受け継ぎ、国産のミズメザクラを主に使い、職人が組み手や継ぎ手の技を継承して仕上げている。虎の模様に似た
創業当初からの看板商品が椅子。洋家具などほとんどの人が見たことがない時代に、英国の古いウインザーチェアの忠実な習作から始め、失敗を重ねながら完成度を高めた。三四郎の妻キクエが中心となり開発したラッシ(い草の一種)編みの椅子もファンが多い。柳をはじめ木工の安川慶一や陶芸のバーナード・リーチら民芸運動の指導者たちが松本を訪れ、製品開発などに助力を惜しまなかったという。
近年では生活様式の変化に伴う家具離れで、職人数はピーク時の3分の1にまで減った。ただ三四郎の孫の
(文化部 竹内和佳子)
(2025年6月25日付 読売新聞朝刊より)
0%