日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2025.6.16

【工芸の郷から】久留米絣くるめかすり― 新たな染織表現 素材多様化も(福岡県筑後地方)

波をイメージした久留米絣のタペストリーを手にする研介さん(左)と健さん

江戸後期、藍の産地である福岡県南部・筑後地方では、藍染めの綿織物・久留米絣くるめかすりが作られるようになった。細密ながら素朴で温かみのある美しさ、肌なじみの良さが人気で、近年は綿以外の素材にも技術を生かしている。

父で先代のたけしさん(75)と営む工房では10年ほど前から、久留米絣だけではなく、建築会社や内装業者からの依頼を受け、木材も染めている。染めた木材は業者に引き渡され、テーブルやランプシェード、ドアノブなど様々な形に加工される。

1891年(明治24年)創業の藍染絣工房(福岡県広川町)。工房では藍液の入った大型のかめ12個が地中に埋まり、発酵する際の独特のにおいで満ちていた。5代目の山村研介さん(41)が液に浸していたのは、絣用の綿糸ではなく、40センチほどの板だった。

板を藍液に浸す研介さん=井上裕介撮影

木材は材質ごとに含有成分が異なるため、浸す時間や濃度を見極めながら、注意深く色を付けていく。「ここ2年で藍や燃料などの原材料費が5割高くなった。商品の付加価値を高めなければと考えた」と狙いを語る。

「ライフスタイルに合わせて若い世代にも藍製品を使ってもらいたい」との思いから、県外の業者に依頼し、編み機によるTシャツや裏起毛のスエットも試作している。

息子が素材の多様化を図る一方で、父は絣本来の染織を追求している。久留米絣の第一人者だった松枝玉記さん(1905~89年)の絣に魅了されたのがきっかけだった。

松枝さんは精巧な幾何学文様と「淡藍」と呼ばれる淡い水色で、産業としての絣を芸術の域に高めた名匠で、健さんは生前の松枝さんに頼み込んで藍染めの基本を教えてもらい、試行錯誤を繰り返した。

そしてたどりついたのが、染める回数を20から80回まで段階的に変え、藍色に鮮やかなグラデーションを施す表現だ。2017年、「YAMAMURA BLUE」というブランド名を作った。昔ながらの天然藍染めと手織りの技法を用い、通常の倍以上の染織の手間や時間がかかるが、「色落ちせず、かつ深みを出すためには不可欠な工程」と言い切る。

「手工芸の美の粋」「アート作品のよう」などと口コミで評価が広がり、アジアや欧米のファッションブランドの関係者の視察が絶えない。父子は「これからも動きのあるデザインや、新しい用途に挑戦したい」と制作意欲は衰えない。

(西部文化部 井上裕介)

(2025年5月28日付 読売新聞朝刊より)

Share

0%

関連記事