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2025.2.28

【工芸の郷から】弓浜絣 — 農民が生んだ素朴な味わい(鳥取県西部)

織機で弓浜絣のクッションカバーを作る中村さん(鳥取県米子市で)

深い藍色に、白く染め抜かれた鶴亀や鱗文うろこもんといった素朴な柄が映える。鳥取県西部に伝わる「弓浜絣ゆみはまがすり」は、農家の女性たちが家族の仕事着や晴れ着として織ったものがルーツとされる。ざっくりとした風合いが特徴で、縁起のいい絵柄には家族の幸せへの願いが込められている。

江戸時代、地元で作られた伯州綿(和綿)を原材料に生産が始まった。農家の副業として発展し、江戸後期から大正時代にかけて最盛期を迎えた。1975年に国の伝統的工芸品に指定された。

米子市にある弓浜絣職人、中村武志さん(46)の工房では、染めた糸で布を織り上げていた。織機の板を踏み、柄にずれが生じないよう、800本以上ある経糸たていとの間に繰り返し緯糸よこいとを通す。

中村さんが織った布

糸の本数や長さを整える「整経」や、染める前に糸の一部を縛って模様を出す「くくり」の作業もある。のれん1点を仕上げるのに3~4か月ほどかかる。「弓浜絣の技法は、家の中で誰でもできるように生み出されたものばかり。今では面倒な技法ですが、必要なのは特殊な技ではなく、根気と時間なんです」

中村さんは県弓浜絣協同組合が2007年に始めた後継者養成事業の1期生。県指定無形文化財保持者の嶋田悦子さん(故人)らに技術を学んだ。その後に工房を開設し、のれんや枕、テディベアも手がける。昨年、弓浜絣で10年ぶりの伝統工芸士に認定され、組合の理事長も務めている。

養成事業からは6人が巣立ち、事業者数は06年の4社から9社に増えた。多くが個人で活動し、若い感性を生かした雑貨なども作る。中村さんは「全体の生産力は以前より落ちたが、各事業者に個性がある。それぞれに後継者が現れるようになればいい」と話す。

境港市農業公社が育てている伯州綿

明治以降、外国産に押されて衰退した伯州綿の栽培も息を吹き返している。境港市農業公社は08年、住民から種を譲り受けて栽培を始めた。例年200~300キロを収穫し、糸に加工している。栽培に携わる地域おこし協力隊の徳毛文孝さん(52)は「繊維が短くて太いので弾力があり、柔らかい風合いを出しやすい」と魅力を語る。

地域の地道な取り組みが、伝統の技や素材を支えている。

(大阪文化部 藤本幸大)

(2025年2月26日付 読売新聞朝刊より)

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