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2023.7.10

【工芸の郷から】細る「用の美」 未来へつなぐ ― 出雲民芸紙(松江市)

桁で和紙をすく安部信一郎さん(松江市で)

JR松江駅から約10キロ南東の山あいにある工房。安部信一郎さん(71)が木枠の「桁」を握り、和紙の原料を水槽からすくい上げる。ゆっくり動かしてすくのが特徴で、乾燥させると独特のふんわりとした風合いに仕上がる。

松江市八雲町岩坂地区では、江戸末期に手すきが始まったと伝わる。「出雲民芸紙」として声価が高まったのは、安部さんの祖父栄四郎さん(1902~84年)が31年、民芸運動の提唱者・柳宗悦むねよしと出会ったことに始まる。島根県内に自生する低木・雁皮がんぴの繊維で作った厚手でつやのある雁皮紙が、「世にも気高い」と柳に絶賛された。

栄四郎さんは柳の助言に従い、巻紙や名刺、封筒に便箋、着色した模様和紙と、様々な品を作った。68年には人間国宝に認定された。「あくまでも手仕事にこだわることと、使われなきゃ紙じゃないという『用の美』かな」。安部さんは受け継いだ民芸の精神をそう話す。

様々な色や模様がついた出雲民芸紙(松江市で)

祖父の時代から既に、世の中ではパルプを原料とした機械製造の「洋紙」が主流になっていた。加えて、手で書くことやふすま、障子を使う和室が少なくなるにつれ、和紙の需要も減る。往時は地元に30軒ほどいたという同業者が、約15年前に絶えた。

出雲民芸紙の大半は、主に高知県産のミツマタから作ってきた。ところが10年ほど前、生産者の高齢化などで入手が困難になった。「辞め時かな」。安部さんの心が揺れた。「何とか続けて」と、固定客らに引き留められた。原料は現在、ネパールや中国からの輸入に頼っている。家族、従業員計5人で従事しているが、後継者については決まっていない。

2020年、「和紙を未来へつなぐ事業実行委員会」が地元に発足した。代表を務める安部さんらが行う手すきの動作を、松江工業高専の学生らがセンサーで計測。データ化し、将来の職人が自分の動きと比較できるようにする。住民たちはミツマタの栽培方法を学び、先月下旬には、紙すきの粘液となるトロロアオイの種を休耕田にまいた。

参加者の一人には、和紙クラフト作家、野津智恵子さん(41)がいた。室内に香りを広げる「アロマディフューザー」や造花を制作し、海外にも出品。もちろん、出雲民芸紙を使っている。「職人さんの魂がこもっているから、手触りが優しい。作品を通じ、この土地の風土を伝えたい」。新たな「用の美」が兆している。

(大阪文化部 布施勇如)

(2023年6月28日付 読売新聞朝刊より)

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