洋風建築は明治時代初期の文明開化と共に急速に地方に伝わった。具体的には小学校や県庁舎などの公共的な建物から始まった。擬洋風建築の建設に力を注いだことでは山梨県令(県知事の前身)・藤村紫朗や山形県令・三島通庸らが知られている。現代に残った擬洋風建築を将来に伝えるには、建物の適切な維持・管理に加え、だれもが親しめる活用法がカギを握る。
北海道指定有形文化財の市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)は土蔵造りながら、アーチ形の窓という和洋折衷の外観を持つ擬洋風建築の建物だ。
ハイカラな建築物が数多く立ち並ぶ函館市だが、厳密な意味での擬洋風建築は実は多くない。理由の一つは、火事の多さだ。山から風が吹き下ろすうえ、建物が密集していたなどの理由で、函館市は1934年までに26回もの大火に見舞われている。
初代渡辺熊四郎が1869年に創業した金森洋物店も、洋服の生地や舶来の雑貨などを扱ったが、79年の大火で本店と6支店が焼失した。
現存する建物はその翌年、開拓使が奨励していた「不燃質家屋」の施策に応じて建てられたもの。漆喰の白壁の中は、耐火性のレンガが積まれている。渡辺はその後、倉庫業に乗り出し、「金森赤レンガ倉庫」は現在も函館の象徴としてベイエリアを彩っている。
洋物店は1969年から資料館として公開。明治の店の雰囲気が再現されている。今泉香織館長は「大火で周囲が焼失した中でも耐え、140年以上の歴史をとどめる建物は貴重で見る価値がある」と話している。
(2024年10月6日付 読売新聞朝刊より)
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