日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2024.10.10

【擬洋風建築5】大火免れた「旧金森洋物店」 函館に残る不燃質家屋

現在は郷土資料館として公開されている函館市の旧金森洋物店

洋風建築は明治時代初期の文明開化と共に急速に地方に伝わった。具体的には小学校や県庁舎などの公共的な建物から始まった。擬洋風建築の建設に力を注いだことでは山梨県令(県知事の前身)・藤村紫朗しろうや山形県令・三島通庸みちつねらが知られている。現代に残った擬洋風建築を将来に伝えるには、建物の適切な維持・管理に加え、だれもが親しめる活用法がカギを握る。

土蔵造りにアーチ形窓 

北海道指定有形文化財の市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店かねもりようぶつてん)は土蔵造りながら、アーチ形の窓という和洋折衷の外観を持つ擬洋風建築の建物だ。

ハイカラな建築物が数多く立ち並ぶ函館市だが、厳密な意味での擬洋風建築は実は多くない。理由の一つは、火事の多さだ。山から風が吹き下ろすうえ、建物が密集していたなどの理由で、函館市は1934年までに26回もの大火に見舞われている。

初代渡辺熊四郎が1869年に創業した金森洋物店も、洋服の生地や舶来の雑貨などを扱ったが、79年の大火で本店と6支店が焼失した。

現存する建物はその翌年、開拓使が奨励していた「不燃質家屋」の施策に応じて建てられたもの。漆喰しっくいの白壁の中は、耐火性のレンガが積まれている。渡辺はその後、倉庫業に乗り出し、「金森赤レンガ倉庫」は現在も函館の象徴としてベイエリアを彩っている。

洋物店は1969年から資料館として公開。明治の店の雰囲気が再現されている。今泉香織館長は「大火で周囲が焼失した中でも耐え、140年以上の歴史をとどめる建物は貴重で見る価値がある」と話している。

(2024年10月6日付 読売新聞朝刊より)

Share

0%

関連記事