日本の豊潤な酒文化は、杜氏や蔵人と呼ばれる職人たちのたゆまぬ努力で洗練されていった。能登半島地震や九州豪雨など、酒造りにも深刻な影響をもたらす災害が相次ぐ中、伝統を絶やさないという職人たちの共通の思いは、酒蔵を超えた連帯の輪も生み、未来に継承する力となっている。
熊本県人吉・球磨地方の水でもろみを仕込む「球磨焼酎」を手がける「大和一酒造元」(熊本県人吉市)の作業場では、1月中旬の早朝、蒸したての米の甘い香りと、もうもうとした蒸気が立ちこめていた。
社長の下田文仁さん(57)と杜氏の迫田賢二さん(52)は、発酵に適した温度に下がるまで、約200キロの米をシャベルでかき混ぜ続けた。下田さんは「今年もまた酒造りができる」と喜びをかみしめる。
明治時代にルーツがさかのぼる大和一は、2020年7月の九州豪雨で被災。作業場は浸水して多数のタンクが横転し、明治以来のこうじ室も水没した。年間生産量の7割以上に当たる4万リットル超の原酒が流失し、「絶望的な気持ちで廃業も考えた」が、ほかの蔵元や酒販店などの支援で何とか踏みとどまった。
「昔ながらの技法で造った酒の方が、味わいに深みが出る」との思いから、明治末の文献をひもとき、当時の伝統的製法にも挑戦している。人吉・球磨産の玄米と、黄こうじ菌を使ったこうじ、温泉水をおけに入れて、約50日間自然発酵させる。そのもろみを木おけの蒸留器に入れ、薪の火で加熱する。手間暇をかけて醸造した原酒を約3年寝かせ、「復古酒」が出来上がる。今年1月、ようやく販売にこぎつけた。
下田さんは「水害で何もかも失ったかと思ったが、酒造りの感覚は体に残っていた。明治の製法を試行錯誤で再現でき、伝統的な酒造りは私の誇りと思えるようになった。100年前の味を先の時代にもつなげたい」と力を込める。
泡盛を製造する「瑞泉酒造」(那覇市)社長で沖縄県酒造組合会長の佐久本学さん(55)=写真=は「“島酒”の伝統や歴史的背景もPRしていきたい」と意気込む。
アジアとの交流から生まれ、タイ米が用いられることが多い泡盛。沖縄戦の戦禍や、米軍統治下でのウイスキーの隆盛といった製造上の危機を乗り越えてきた。佐久本さんは、沖縄の文化や生活と深く結びついた「人と人をつなぐ酒」だと語る。
甕から甕へ少しずつ酒をつぎ足し、熟成させる古くからの技法「仕次ぎ」にこだわり、「古酒」を造る。「時間をかけて風味を高める古酒は、先人の知恵が後世に伝わった証しでもある。私たちも技術をつなぐ使命があります」と話す。
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無形文化遺産 発信と継承後押し
元ユネスコ事務局長・松浦晃一郎さん
無形文化遺産の制度創設時にユネスコ事務局長を務めていた松浦晃一郎さん(87)に、同制度の意義や「伝統的酒造り」への思いを聞いた。
ユネスコの制度で代表的なものに、伝統的な建造物や遺跡を保護する世界遺産がある。これに対し、無形文化遺産は芸能や儀式、工芸技術などを保護の対象とする制度で、2003年のユネスコ総会で保護条約が採択された。今では世界で600件以上が登録され、世界遺産と並ぶユネスコの文化遺産保全活動の「2本柱」になってきた手応えを感じている。
「伝統的酒造り」の登録は、海外の観光客が日本の食文化にさらに関心を持つきっかけになり、意義は大きい。日本の無形文化遺産は23件となり、26年には「書道」の登録も目指している。日本が誇る貴重な文化の価値を国内外に発信し、伝統文化を支える担い手の確保につなげたい。
(2025年2月2日付 読売新聞朝刊より)
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