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2025.6.5

【工芸×ツーリズム②】玉川堂ぎょくせんどう鎚起ついき銅器・新潟県燕市)― ものづくり最前線にようこそ

工場を開放して見てもらうオープンファクトリーや、地域が一体となって魅力を掘り起こす取り組みは近年、全国各地の産地に波及していっている。各地の旗振り役は、自己利益は脇に置き、土地の歴史や特性をアピールしながら、地域を巻き込んでいく。地域の連携は、さらに産地間の連携へと広がりを見せる。今、地方が面白い。

玉川堂が大阪・関西万博に出品する巨大やかんの制作は「銅と格闘する」かのよう。職人の蓑輪朋和さんは「打っていると無心になる」と語る(新潟県燕市で)=三輪洋子撮影

国内有数の金属加工製品の産地として知られる、新潟県燕市と三条市。近くにそびえる霊峰・弥彦山で、かつて良質な銅が採れたために、江戸時代から金属加工技術が発達した。現在は、食器や刃物など身近な家庭用品を作る工場がひしめく。

五感で感じる職人の技

そのうちの一つ、国の無形文化財「鎚起ついき銅器」を手がける玉川堂ぎょくせんどう(燕市)には、年間7000人の見学者が訪れる。カンカン、カンカン――。澄んだ金属音が絶えず響く、築100年の工房を、番頭の山田りつさん(52)=写真=は「ものづくりワンダーランド」と呼ぶ。

鍛金職人が一枚の銅を金づちや木づちで繰り返したたいて縮め、急須や酒器を形作る。「ものが出来ていく現場って、国籍や年齢性別を超えて、とにかく『楽しい』んですよね。僕らには当たり前の作業でも、目にしたお客様は驚きます。『こんなに手間をかけて作っているのか』と」

熟練の手業で、注ぎ口まで継ぎ目なく打ち出す「口打出くちうちだし」の湯沸ゆわかしは85万円の高級品だが、「五感で職人の技を体感していただくことが、価格への納得感や、品物への愛着につながる」と山田さんは話す。

感嘆の声を直接浴びて 職人さんの意識が変わった

バブル崩壊後、首都圏や海外での展示販売に活路を見いだしてきたが、「行く」より「来てもらう」方が魅力が伝わると、発想を転換。10年ほど前から力を入れているのが、観光客向けに工場を公開する「オープンファクトリー」だ。自社のみならず、燕三条エリア全体に取り組みを広めてきた。

「『来られちゃ困る』ってところも多かったですよ」。当初、積極的な会社はわずかだったが、毎年秋の4日間限定で見学者を招くイベント「燕三条 工場こうばの祭典」が起爆剤に。「『すごい』『カッコいい』という感嘆の声を直接浴びて、『もっと知ってもらうにはどうしたらいいか』と職人さんたちの意識が変わった」と振り返る。

見学ツアーも開催

今では、30社近くの工場が、年間を通して観光客を受け入れる。山田さんは、クラフトツーリズムを展開する株式会社「つくる」を設立。エリアの工場見学とものづくり体験、食などをパッケージにしたツアーを提案し、「燕三条の発信力アップ」に情熱を傾ける。

思わぬ効果もあった。現場を見て、「ここで働きたい」と希望する若い世代が増えていることだ。玉川堂の職人21人の平均年齢は32歳、うち8人が女性。美術大学などで金属加工を学んだ学生の就職先として、人気があるという。「観光は、400年続く地域のバトンを新たな担い手へつなぐための有効な手段になり得る」と、実感している。

鎚起ついき銅器」を作る玉川堂の工房で、完成した急須が変色しないよう、天然のロウを塗る職人たち。使い込まれることで、色は深みを増していく(新潟県燕市で)
唯一現存する、初代・玉川覚兵衛作の鍔薬罐つばやかん
1816年創業の玉川堂。正面の引き戸の奥に工房が広がる
「工場の祭典」で、長谷弘工業の工場を訪れた見学者たち=「燕三条 工場の祭典 実行委員会」提供

(2025年6月1日付 読売新聞朝刊より)

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