2023.5.10
我が国伝統の美術品、工芸品などの文化財は明治以降、海外流出、災害、戦火などの危機を迎えながら、官民あげての努力によって守り伝えられてきた。三井は三井文庫、三菱は静嘉堂、住友は泉屋博古館を公益財団法人として設立し、所蔵の美術品を後世に残した。創業家の所蔵品を江戸時代から受け継ぐ三井記念美術館の清水眞澄館長、海外に学んだ岩崎家コレクションを持つ静嘉堂文庫美術館の河野元昭館長に、企業の果たすべき役割と、さらに次の世代へ守り伝える意義を聞いた。
明治維新を機に、幕藩体制の崩壊、新政府の神仏分離令、欧化政策などによって、日本、東洋の伝統的な美術品、工芸品などは海外流出の危機を迎える。政府は、1872年(明治5年)に社寺や華族(旧大名家)所蔵品の本格的な調査(壬申検査)を実施。博覧会を開催し散逸の阻止に努め、東京国立博物館を開設する。人材の育成へ、帝室技芸員(後の重要無形文化財保持者=人間国宝)制度を発足させ、東京美術学校(東京芸術大学の前身)を開校、古社寺保存法の施行と、文化財の保護と継承に乗り出す。
ただ、国防、インフラの整備や産業奨励などを優先した当時は「欧米にならって美術品を保存、継承、公開していく制度は整えたが、その先の(制度を運用する)ソフトパワーまでは手が回らなかった」と静岡文化芸術大学の田中裕二准教授は、文化行政の限界を指摘する。
行政を補う一翼を担ったのが、三井、三菱、住友などの財閥だった。社寺、華族などが江戸時代から受け継いだ美術品、工芸品などを買い受け、散逸を防ぐ。海外の実情を見た三菱創業家の岩崎彌之助、小彌太は、困窮していた作家を支援し「海外の万国博覧会に所蔵品を出品し、世界に日本の文化を広める活動までしていた」(安藤一郎・静嘉堂常務理事)。
1902年(明治35年)には、実業家の大倉喜八郎が現存する国内最古の私立美術館、大倉集古館(東京都港区)を開館する。後に、三井、三菱、住友も美術館を新設し、国内の美術鑑賞の啓発に貢献する。国の産業奨励策で経営と利益の拡大を図る一方で、美術を通して社会へ還元したいという意思が共通する。第2次世界大戦後、財閥解体の苦難を経ても姿勢は変わらなかった。
住友家から寄贈を受けた美術品の保管、調査研究、展示公開を目的として、住友グループの支援を得て1960年に設立された公益財団法人。
70年には美術館・泉屋博古館を京都市左京区鹿ヶ谷に開館、一般公開を始めた。2002年には、東京都港区に分館(現・泉屋博古館東京)を開館した。中国古代青銅器、中国・日本書画、西洋絵画、近代陶磁器、茶道具など国宝2件、重要文化財19件を含む約3500件を所蔵する。
一方、住友グループは、1991年に住友財団を設立し、国内外の文化財を対象に維持修復事業の助成に乗り出す。国宝「明月記」(藤原定家筆、冷泉家時雨亭文庫蔵)の修理など、これまでの助成件数は1300件を超える。
77年に事実上経営破綻した、安宅産業が所蔵していた陶磁器などの美術品コレクションの散逸を防いだのも住友グループだ。国宝2件、重要文化財12件を含む安宅コレクションを大阪市に寄贈し、82年に大阪市立東洋陶磁美術館(大阪市北区)が開館した。
特別展「大阪市立東洋陶磁美術館 安宅コレクション名品選101」
泉屋博古館東京で5月21日まで開催。国宝の「油滴天目 茶碗」「飛青磁 花生」などを展示。国宝「秋野牧牛図」も特別出品している。
(2023年5月6日付 読売新聞朝刊より)
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