令和2年(2020年)11月8日、秋篠宮文仁親王殿下が皇位継承順位1位の皇嗣になられたことを内外に示す「立皇嗣の礼」が、憲政史上初めて行われる。通常は新天皇の即位後、皇太子が自らの立太子を示す「立太子の礼」が行われるのであるが、今回は天皇陛下の弟の秋篠宮さまを「皇位を継承することを予定されている皇族」として執り行われる。
当初は「立皇嗣宣明の儀」と天皇陛下への「朝見の儀」が同年4月19日に皇居宮殿正殿・松の間で行われることになっていたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期となり、規模を縮小して11月8日に行われることとなった。宮中饗宴の儀は中止となった。
皇嗣となることによって、相伝するものがあり、着用する装束の格式も変わってくる。相伝するものとしては「壺切太刀(壺切御剣とも)」がある。壺切太刀は、皇嗣(通常は皇太子)に引き継がれてきた護剣で、寛平5年(893年)に宇多天皇が敦仁親王(後の醍醐天皇)の立太子に際し、剣を授けたことが始まりといわれる。
その形状は、「直刃の冠落、拵は野太刀の式」というが、浅学の私には想像ができない。鞘は「海賦蒔絵螺鈿」。おそらくは荒波に怪魚、あるいは海辺に海松貝、鳥、松などを組み合わせた模様を螺鈿であらわしているのだろう。
この壺切太刀、現在は立太子の際に天皇から授けられている。
皇嗣が着用する装束は「黄丹袍」となる。「即位の礼」の際に秋篠宮さまが着用されていた、あの鮮やかな色の袍のことである。黄丹は、皇嗣以外は使用することができない禁色である。8世紀の律令制においては、位によって着る袍の色が決められており、禁色とは、その位以外の人は着ることが許されなかった色のこと。「黄丹」は昇る朝日の色を写したとされる鮮やかな赤みの橙色で、くちなしの下染めに紅花を上掛けして重ね染めすることにより色をかもすという。
黄丹袍の文様は「窠形」とよばれる瓜を輪切りにした形に、下向きの鴛鴦1羽を収めた「窠に鴛鴦丸」である。
この黄丹袍の文様に倣い、大正、昭和、平成の立太子礼の際のボンボニエールにはすべて、「窠に鴛鴦丸」のデザインが施されている。このうち、 学習院大学史料館所蔵の昭和天皇立太子の際のボンボニエールは、学習院女学部長だった松本源太郎に下賜されたものである。松本源太郎は福井県出身の教育者で、第一高等学校、第五高等学校教授などを経て、学習院教授となった。松本の残した資料は郷里の越前市に寄贈され、その中に第一高等学校在学中の夏目漱石の成績が含まれていたとのニュースが昨年報道されたので、名前に聞き覚えがある方がいるかもしれない。
『昭和天皇実録』によると、「大正5年11月29日 立太子礼終了につき、本日より皇太子からの賜餐又は賜饌が行われる。この日は成年男子皇族十名及び親任官待遇以上を霞関離宮にお召しになり、午餐を催される」とある。したがって、このボンボニエールは、立太子礼の皇居での饗宴の儀の際ではなく、立太子礼の終了後に開催された皇太子主催の饗宴の際に下賜されたことが判明する。
憲政史上初めての、令和の「立皇嗣の礼」に際しては、ボンボニエールが出されるのだろうか。出される場合は「窠に鴛鴦丸」のデザインが施されているのだろうか。注目してみたい。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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