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2025.5.24

【皇室の美】富士山の絵画的写真目指す

「皇室の美と山梨~皇居三の丸尚蔵館の名品~」(山梨県立美術館)

「富士山二十四景にじゅうよんけい」は、1895年(明治28年)頃に制作された写真ちょうで、静岡県や山梨県において、美しい富士山の姿を眺望できる場所から撮影された写真24枚が収録されている。制作者である「玄鹿館げんろくかん」は、同年2月に鹿島清兵衛(1866~1924年)が東京・木挽町(現・中央区銀座)に開業した写真館で、清兵衛の弟である清三郎が館主を務めた。

清兵衛は新川(現・中央区新川)の酒問屋「鹿島屋」の養子であったが、イギリス人技師のウィリアム・K・バルトンから写真術を学び、莫大ばくだいな資金を投じて写真術の開発や研究を行ったことから「写真大尽」と呼ばれた人物である。

富士山は日本に写真術が伝来した幕末期から、国内外の写真師によって撮影された名勝地で、明治中期頃まで外国人向けの土産品として隆盛を極めた彩色写真、いわゆる「横浜写真」にたびたび登場する被写体であった。本写真帖の収録写真には彩色がないが、その構図には同写真の影響が見受けられる。

「富士山二十四景」から「甲州吉田 其一」
玄鹿館 1895年頃 皇居三の丸尚蔵館収蔵
 ※展覧会には出品されません
「富士山二十四景」から「甲州吉田 其三」
玄鹿館 1895年頃 皇居三の丸尚蔵館収蔵
※通期展示

一方で、明治中期にはガラス乾板の流行に代表されるように写真技術の簡便化が進められ、その結果、アマチュア写真家が増加した。彼らは趣味で写真撮影を楽しむとともに、芸術としての写真を模索し始め、1893年(明治26年)に清兵衛らが中心となって結成した大日本写真品評会では会員同士による「作品」の批評が行われた。

本写真帖の収録写真のなかにも、富士山の前に木々を配置して遠近感を得る絵画的手法を取り入れた写真、または光や空気感を捉えた西洋画のような写真が垣間見える。

このように、写真が芸術的側面を持つようになる萌芽ほうが期にあって、本写真帖は横浜写真の構図を踏襲しつつ、絵画的な写真を目指した玄鹿館の挑戦的作品と言えるだろう。

(皇居三の丸尚蔵館研究員 木谷知香)

展覧会「皇室の美と山梨~皇居三の丸尚蔵館の名品~」 
 【会期】〔2025年〕6月1日(日)まで 
  ※5月7日(水)、12日(月)、19日(月)、26日(月)休館
 【会場】山梨県立美術館(甲府市)
 【観覧料】一般1000円、大学生500円
 【問い合わせ】055・228・3322

(2025年5月4日付 読売新聞朝刊より)

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