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2021.4.5

失われた「いにしへの色」に挑み続けた染織史家・吉岡幸雄―初の回顧展で現代によみがえった色に触れる

平安時代の官位8色(右から順に一位~八位)。源氏物語『澪標』の帖をイメージしたもので、一番右が「濃紫(こきむらさき)」
特別展「日本の色―吉岡幸雄の仕事と蒐集―」細見美術館(京都)

古代の高貴な人が身に付けた「濃紫こきむらさき」、天子の色「黄櫨染こうろぜん」、平安時代の天皇や皇太子が着用した色「麴塵きくじん」――。いにしえ人が実際に目にしたであろう、失われた日本古来の伝統色を半生かけて現代に甦らせた人物が、江戸時代から続く京都の染色工房「染司よしおか」5代目当主で染織史家の吉岡よしおか幸雄さちお氏です。

2019年に73歳で急逝した吉岡さんが私達にのこしてくれた「日本の色」とは? 現在、初の回顧展「日本の色―吉岡幸雄の仕事と蒐集しゅうしゅう―」が開催されている京都・細見美術館の展示作品から、その軌跡をたどってみましょう。

染織史家・吉岡幸雄 
1946年(昭和 21年)京都市生まれ。73年(昭和48年)に図書出版「紫紅社」を設立。美術工芸の雑誌・全集・豪華本などを編集・出版し、CM 制作や美術展覧会の企画にも携わる。88年(昭和63年)に「染司よしおか」5代目当主に。主な著書に『日本の色辞典』『源氏物語の色辞典』『王朝のかさね色辞』(紫紅社刊)、『千年の色 古き日本の美しさ』(PHP 研究所)など。
日本古来の植物染で「日本の色」を復活

1988年、42歳で父・常雄氏(4代目)の跡を継いだ吉岡さん。化学染料を一切使わないと決意し、先代からの染色技術を受け継ぐ染師・福田ふくだ伝士でんじ氏と二人三脚で、伝統的な植物染にこだわった「日本の色」の復活に取り組んできました。

古来の文献資料を読み解き、伝世の染織遺品などを研究して試行錯誤を重ねながら、時には各地に伝わる染料・材料・技術を訪ねて、その保存と復興に努めてきたそうです。そして、研究成果をもとに、江戸時代以前に培われた植物染の技法で、『源氏物語』など古典文学に登場する色彩や、寺社の伝統行事の装束を再現・復元しました。

「源氏物語」 蘇芳(すおう)のかさね 袖部分

なかでも印象的なのは、「日本の紫」に関するエピソード。吉岡さんは、著書『吉岡幸雄の色百話』(世界文化社)で、「洋の東西を問わず、高貴とされる紫はまた、最も困難な染色であり、染屋である限り、その美しさを追い求めるのは当然である」と記しています。

父・常雄さんは、ギリシャ・ローマ時代の帝王が好んだとされる貝で紫を染めた「帝王紫(貝紫)」の再現に生涯をかけた研究者でした。その西洋の高貴な紫に対し、東洋の高貴な紫「紫根しこん(紫草の根)染」を再現するため、奈良時代に紫草園が営まれた大分県竹田市「志土地しとち」(かつては紫土知)の人々と協力して紫草栽培を平成の世に復活させたほど、心血を注いでいます。

紫草(紫根)
「迷いが生じると、私は『古典』に学ぶことを信条とした」

吉岡さんの仕事を語る上で、奈良・京都の寺社との関わりは欠かせません。1991~93年にかけて、奈良の東大寺、薬師寺の伎楽ぎがく装束の復元に挑んでいます。

伎楽は、インドや西域一帯が源流で、推古天皇の時代に百済の味摩之みましによって伝えられたとされる日本最古の外来芸能。飛鳥・奈良時代には寺院などで盛んにおこなわれたものの、平安時代には衰退し、その後絶えてしまった幻の芸能です。

1980年(昭和55年)の「大仏殿昭和大修理落慶法要」、2002年(平成14年)の「開眼千二百五十年慶讃大法要」の際に甦ることになった東大寺伎楽装束

吉岡さんは、「迷いが生じると、私は『古典』に学ぶことを信条とした」という言葉を遺しています。蒐集した飛鳥~奈良時代の法隆寺裂ほうりゅうじぎれ正倉院裂しょうそういんぎれに目を凝らし、縫い目が深く空気に触れていない部分に遺る鮮やかな色彩を見出したといいます。

吉岡幸雄愛蔵コレクション「正倉院裂」の一部

さらに、寺社伝統行事との深いかかわりも。天平勝宝4年(752年)から一度も途絶えることなく続いている不退の行法、東大寺二月堂の「お水取り(修二会)」で、秘仏のご本尊・十一面観音菩薩に供えられる椿の造花つくりばな。さらに、薬師寺の「花会式(修二会)」で薬師如来三尊像への供花くげの造花の和紙染色も長年、「染司よしおか」が担っているのです。

東大寺の「お水取り(修二会)」の椿の造花
薬師寺の「花会式(修二会)」 の造花。染司よしおかは、10種のうち桜・桃・杜若・百合の花々を造る染め和紙を奉納している

1998年からは、京都・石清水八幡宮に伝わる古文書を紐解き、再現制作した春夏秋冬に咲く祭礼供花神饌きょうかしんせんも毎年手掛け、奉納しています。

同展を開催するにあたり、伊藤京子学芸員が一番印象に残ったのは、吉岡さんの跡を継いで6代目になった娘の更紗さんが語った「うちの都合でこの仕事を辞めるわけにはいかない」という言葉だそうです。「更紗さんが継がなければ、寺社の伝統行事が続けられない。背負っているもののすごさを感じました」

「後世に伝えていこう」という眼差し
「吉岡先生の偉業は、自身の仕事を文字に残し、出版したことも含まれます。後世に伝え遺していこうという意識を感じずにはいられません」と話す伊藤学芸員

吉岡さんは、自ら設立した美術図書出版「紫紅社」で、美術図書、美術工芸の歴史に関わる本を編集、出版しました。2000年には、日本の伝統色466色を植物染料で再現した『日本の色辞典』を出版し、自ら成し遂げたことを著書に書き残しています。「自分の代で終わらせてはいけない。後世に伝えていこうという意識があった。著書は報告書を兼ねていたのだと思います」と伊藤学芸員。

決して独りよがりにならない姿勢が感じ取れる言葉の数々。同展では、作品とともに印象的な「吉岡さんの言葉」が引用されています。先人の言葉から学び続けたことで、自身の言葉で持てるものすべてを後世へ……と思っていたのかもしれません。

「紫紅社」から出版された書籍の数々も紹介されている

会場内に再現された吉岡幸雄の書斎「おもかげ」では、卓上に所蔵の『源氏物語』を見ることができます。まるで花が咲いたような、おびただしい数の付箋が付けられ、古典文学を咀嚼し、再現に苦心した痕跡が分かります。

会期中に不定期で公開されている吉岡幸雄の再現書斎「俤(おもかげ)」。公開日は細見美術館公式SNSにて確認を(画像提供:細見美術館)
未来では、復元作品も国宝に?

一般的に草木染のような渋めの色味をイメージしがちな植物染。しかし、実際に作品を目にすると、柔らかで、明るい色彩に驚かされます。なかでも、第一展示室に入ってすぐに目に飛び込んでくる法隆寺の『四騎獅子しきしし狩文錦かりもんきん』(復元)は見逃せません。

オリジナルは、遣隋使・小野妹子が持ち帰ったもので、聖徳太子騎行の御旗みはたであったと伝わる国宝。それを紅花、蓼藍たであい黄蘗きはだえんじゅなどを使用して、鮮やかな赤を基調に復元しています。この復元は大変大掛かりなもので、古法にのっとり、巨大な古代の機「空引機そらびきばた」(高さ4m・幅2.5m・長さ8m)をつくるところから始め、織師3人がかりで、2.5mを織り上げるのに1年かかったそうです。

鮮やかな法隆寺の『四騎獅子狩文錦』(復元)

「オリジナルの『四騎獅子狩文錦』は褪色たいしょくしていますが、この復元作品は本当に鮮やか。これが、この先何百年と生きていくうちに、どのような色に変化していくのか? その時に植物染がまだ残っていたらいい。未来の吉岡幸雄がどんな風に再現するのか? それとも再現できないのか? オリジナルも国宝、そして未来では幸雄さんの復元作品も国宝になっているかもしれません」(伊藤学芸員)

「故きを温ねて新しきを知れば、以て師となるべし」

「絶対に古い工人のとおりにやるぞ」「近道を通りたい。それをやったらダメ。世の中の人生と同じですよ」との言葉を遺す吉岡さん(NHK映像ファイル『あの人に会いたい』より)。

展示の最後には、娘の更紗さんによる「『ふるきをたずねて新しきを知れば、以て師となるべし』が父の志となった言葉です」との紹介があります。吉岡幸雄の日本の色は、「奥底まで届くような透明感のある、澄んだ美しい鮮やかさ」(『吉岡幸雄の色百話』より)。その色を追求する旅は、遺された著書や言葉、更紗さんによって次の時代へと紡がれていきます。

源氏物語「花宴」の帖をイメージした装束。「とにかく色を追求された方なので、美しい色をじっくり見て頂きたい」と伊藤学芸員

特別展「日本の色―吉岡幸雄の仕事と蒐集―」


会期:2021年1月5日(火)~ 5月9日(日)
※当初4月11日までの予定でしたが、会期が延長されました。
月曜日休館日(ただし、5月3日は開館)
時間:10 時~17時(入館は16 時30分まで)
場所:細見美術館
住所:京都市左京区岡崎最勝寺町 6-3
料金:一般 1400円 学生 1100 円
URL:https://www.emuseum.or.jp/

いずみゆか

プロフィール

ライター

いずみゆか

奈良大学文化財学科保存科学専攻卒。航空会社から美術館勤務を経て、フリーランスライターに。関西のニュースサイトで主に奈良エリアを担当し、展覧会レポートや寺社、文化財関連のニュースなど幅広く取材を行っている。旅行ガイド制作にも携わる。最近気になるテーマは日本文化を裏で支える文化財保存業界や、近年復興を遂げた奈良県内の寺院で、地道に取材を継続中。

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