刀剣にまつわる様々な物語をひもとく「おちこち刀剣余話」。今回、歴史小説家の永井紗耶子さんが取り上げるのは、東京国立博物館で開催中の紡ぐプロジェクトの特別展「桃山 天下人の100年」に出展されている重要文化財の「般若太刀」。この刀から永井さんが感じたのは、「神々しさ」。さて、その秘密とは……?
以前、さる古物商の方に言われたことで、今も覚えている言葉があります。
「物とは相性がある。身近に見て、手に持ち、自分との相性を確かめて」
つい、名のある品や、値の張る品こそがいいものだと思いがちだけれど、実はそれが必ずしも自分と相性がいいとは限らない。
今回、刀剣を見て回りながら、そんなことを思い出しました。刀を目にした瞬間に、それに対してどう感じるのか。それにまつわる来歴や刀工の存在もさることながら、まずは感性を研ぎ澄ませてそれと向き合うことが大切なのではないか……と。
本来、刀は戦のために造られたものです。言うなれば「殺す」ための道具であるので、ただ「美しい」「きれい」という美術品とは違う禍々しさを持っていることもあるでしょう。また改めて書く予定でもある「妖刀」といった類の中には、そうした禍々しさを魅力として内包している逸品もあると思います。
しかし、そうした刀の中に、ふとした瞬間に神々しさを感じさせるものもあります。
今回、「桃山 天下人の100年」展で、そうした神々しさを感じさせた刀の一つが重要文化財「太刀 銘 守次(号 般若太刀)」(文化庁蔵)でした。しんとして静かな佇まいを持つ一振りです。これは、「上杉家御手選三十五腰」のうちの一つであり、かの上杉謙信の愛刀でもあったとのこと。
この刀は、鎌倉末期に造られたもので、備中国の刀工・青江守次の手による逸品です。この刀が「般若太刀」と呼ばれるようになったきっかけは、上杉家の「大般若会」という法要において、祈祷の際に用いられたことであったとか。
上杉謙信という武将は、武田信玄との川中島の決戦が印象深いかもしれません。山梨の甲府駅には武田信玄との一騎打ちの様子が銅像として残されていますし、映画やドラマで目にされた方も多いことでしょう。
勇猛果敢な人物でもありますが、同時に大変に信心深い人物でもあったと言われています。旗印の「毘」は、仏教の四天王の一人、多聞天の別称「毘沙門天」からとられています。この毘沙門天は、夜叉や羅刹といった鬼たちを率いて北方を守護する武神。正に越後国(現在の新潟県)を守った上杉謙信に相応しい守護神であると言えるでしょう。
この「般若太刀」の刀身には、梵字(サンスクリット語)で裏表に一字ずつ「不動明王」と「薬師如来」の真言が彫られています。
さらには、「三鈷剣」も彫られているのが特徴です。「三鈷剣」は、元は密教における法具の一つ、「三鈷杵」から派生したもので、不動明王がその手に持っているのを見た方も多いのではないでしょうか。いずれも、宗教的な意味合いを持つもので、この刀が祈祷に使われたというのも納得できる神々しさを感じます。
「三鈷剣」が彫られた刀はこの般若太刀の他にもあり、今回の展覧会にも出展され、徳川家康所用の刀として日光東照宮に伝わる「梨地小さ刀」もその一つです。また太刀の他にも、徳川四天王の一人・榊原康政が所有した「黒糸威二枚胴具足」(重要文化財)や「色々糸威二枚胴具足」などの甲冑にも、デザインとして取り入れられているのを確認することができます。
この「三鈷剣」の「三」は一体何を表すものなのか……というと、諸説はあるのですが、一説には「三密」を表しています。といって、昨今流行りの新型コロナ感染防止の「密接、密集、密閉」の「3密」ではありません。
実は「三密」は元々、仏教の言葉で、「身、口、意」の三つによって行われる密教の行為を指しています。つまり、身によって手に印を結び、口で経を唱え、意……つまり心で本尊を思う。この「三密」を具現化したものが「三鈷」です。これによって煩悩を打ち砕くことができると考えられていました。
戦国時代、武将たちは常に戦場に身を置き、いつ敵に攻め入られ、いつ裏切られ、命を落としてもおかしくはありません。その中にあって、自らの心を保つためには、煩悩を打ち砕くための「三密」が必要だったのでしょう。勇猛果敢な武将ほど、信心も深かったのかもしれません。
この「般若太刀」は何故、こんなにも神々しいのか……それは、法要に用いたということも一つの理由であろうと思います。しかしそれ以上に、この刀に祈りを捧げた上杉謙信という武将が、とても清廉な心持ちで捧げてきたからではないか。己の勝利だけではなく、戦国の世の平安を祈っていたのかもしれない――そんな歴史を思わせてくれる一振りでした。
プロフィール
小説家
永井 紗耶子
慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)『横濱王』(小学館)、歌舞伎を題材とした『木挽町のあだ討ち』(小説新潮)など。近著は『商う狼-江戸商人 杉本茂十郎』(新潮社)。第三回細谷正充賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。
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