都会には、隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。
美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいはビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。
アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。
今回ご紹介するのは、東京・港区虎ノ門の閑静な高台に広々とした敷地を構える、現代陶芸の聖地「菊池寛実記念 智美術館」です。日本庭園を囲んで西洋館や蔵が立ち、美術館が入るモダンなビルへと誘われます。
創立者である菊池智の父は、高萩炭鉱や京葉ガスの経営など、エネルギー産業で活躍した菊池寛実です。
智は大正12 年(1923年)1月、父が39歳になる年に、東京・築地明石町に誕生。家は仏教でしたが、明石町は外国人居留地で、家の隣はキリスト教会。智は外国人の神父の影響で、カトリック系の学校に入り、外国の美術に興味を持ち、聖母マリアの絵を机に置いて、キリスト教を心の支えにしていたといいます。のちに第2次世界大戦末期、22歳で聖心女子学院高等専門学校(現・聖心女子大学)の国文科を卒業しました。
戦時下、兄や友人が出征し、死が身近にあったなか、智は、疎開先の茨城県高萩市で陶芸と出会います。国民徴用令でこの地に働きに来ていた瀬戸の陶工のために、父が登り窯を作っていたのです。智は、土のかたまりが轆轤の上で形をなし、炎のなかで生まれ変わるさまに、鮮烈な「生」を感じ、深い感動を覚えました。
父・寛実は、戦前の世界恐慌による破産や、空襲などの苦難を経て、戦後、エネルギー産業で華々しい成功を収めました。現在、美術館が立つ虎ノ門の土地を買い、大きな日本家屋(現存せず)と西洋館(国の登録有形文化財)を建て、日々、多くの来客を迎えたといいます。
智は、病弱な母に代わって家を取り仕切り、寛実の秘書として、政財界人やジャーナリストと交流しました。最新のオートクチュールや自分でデザインした着物をまとい、若い頃、戦時下で出来なかった文学や芸術の勉強も始めました。
33歳の頃、裏千家に入門。娘時代に習っていた茶道に本格的に取り組み、これを機に陶器の収集を始めます。数寄者や専門家との交流を通して古陶磁を学び、やがて現代の陶芸へと関心を移行。智は「思いがけない美をつかめるのが、現代陶芸の魅力」と語り、すべて自らの眼で選んで、伝統的なうつわから革新的なオブジェにまでコレクションを広げました。
やがて、自分の茶室を持ちたいと考え、茶室研究の第一人者で、近代建築の巨匠でもある堀口捨己に設計を依頼。智は堀口から、芸術から歴史や宗教まで、幅広く薫陶を受けたと言います。
3年以上の歳月を費やし、昭和40年(1965年)、麻布十番の菊池邸内に、堀口が命名した茶室「礀居」(2016年に登録有形文化財に指定)と庭が完成。以降、文化人、政財界人が集う茶会が頻繁に催されました。
「美」を希求する堀口の姿勢に感化された智は、自らの美意識を深化させるとともに、同時代の美術を後世に残したいと考えます。
そして、昭和49年(1974年)、ホテル・ニューオータニ(東京・千代田区紀尾井町)にギャラリー現代陶芸「寛土里」を開店。店名は、子どもの頃に父が語り聞かせてくれた、「かんどりかんべえ」という男が、紆余曲折を経て、日本一の陶磁器商になる話から取ったものと伝わります。
第1回の展示は、陶磁器研究家・林屋晴三(のちに菊池寛実記念 智美術館・初代館長)の仲介で開催した、東京芸術大学教授・藤本能道の個展でした。
広い交友関係から縁がつながり、智は昭和54年(1979年)、米国の老舗百貨店、ブルーミングデールズ(ニューヨーク)で日本の現代陶芸作品を紹介。その成功から声が掛かり、昭和58年(1983年)には、スミソニアン国立自然史博物館(ワシントン)で「現代日本陶芸展」を開催し、英国のヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン)にも巡回しました。
約300点に及んだ出展作はすべて智のコレクションで、参加作家約100人のうち、半数以上が30~40歳代。まさに日本陶芸の「今」を紹介する内容となりました。また、展示室内に茶室を作るなど、日本の生活に根ざした美の文化としてやきものを見せる演出もなされました。
智は、スミソニアン博物館の展示デザイナー、リチャード・モリナロリとの仕事を通じて、優れた展示デザインが、いかに鑑賞者の心を開くかを実感し、日本でもこうした展覧会を開きたいと考えました。そこで、寛実が81歳で逝去後、ゲストハウスとなっていた虎ノ門の建物の応接ホールを改装し、展示デザインをモリナロリに依頼します。
そこで行われた最初の展覧会は、志野焼の人間国宝(重要無形文化財保持者)、鈴木藏の個展でした。続いて、15代樂吉左衞門の個展、最後は色絵磁器の人間国宝に認定された藤本能道の個展で、病を患っていた藤本の心境を映す濃密で幻想的な展示空間となりました。
その後、智は平成7年(1995年)、実兄を亡くし、京葉ガス株式会社の会長職をはじめ、多くの事業を引き継ぎます。多忙のため、「礀居」での茶会の機会も減りました。
その一方、虎ノ門のゲストハウスでの3回の展覧会を経て、美術館設立の構想をあたためていた智は、ついに平成15年(2003年)、同地に「菊池寛実記念 智美術館」を開館します。こけら落としは、スミソニアンでの展覧会をもとにした内容でした。
智は展示室のデザインをモリナロリに依頼し、また、螺旋階段のガラスの手すりなど、隅々にまで自らの美意識を行き渡らせました。
正面玄関には、書家・篠田桃紅による墨の抽象画「ある女主人の肖像」が飾られ、智が2016年に世を去って以降も、生前の凜とした姿を想起させてくれるようです。
※「菊池寛実記念 智美術館」では3月21日まで、「鈴木藏の志野 造化にしたがひて、四時を友とす」展が開催されています〔開催概要⇩〕。伝統の中に現代性を兼ね備えた温かく力強い志野焼が、モリナロリによる展示空間や幻想的な照明とあいまって、来館者を異世界へと誘ってくれます。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
開催概要
日程
〜2021.3.21
鈴木藏の志野 造化にしたがひて、四時を友とす
※最新情報は美術館の公式サイトでご確認ください。
菊池寛実記念 智美術館
菊池寛実記念 智美術館
東京都港区
虎ノ門4-1-35
一般:1100円
大学生:800円
小・中・高生:500円
※未就学児童は無料
※障害者手帳提示者と介護者1人までは半額
休館日
月曜
開館時間
11:00 a.m.-6:00 p.m.
(入館は 5:30 p.m. まで)
お問い合わせ
Tel. 03-5733-5131(代表)
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