都会には、隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。
美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいはビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。
アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。
東京駅から八重洲通りを5分ほど歩くと、23階建てのミュージアムタワー京橋が現れます。ここに2020年1月、旧ブリヂストン美術館が5年弱の休館を経て、名前も新たに「アーティゾン美術館」としてオープンしました。4~6階が展示スペースで、展示面積は、建て替え前の約2倍に増えました。
館名は、art と horizon(地平)を組み合わせた造語で、時代を切り開くアートの地平を感じ取ってほしい、という思いを込めたもの。ガラス張りの吹き抜けが清々しく、館内はシンプルで洗練された雰囲気です。企画展の内容は、古代美術、印象派、日本の近世美術、近代洋画、近現代美術と多岐にわたります。
国内最大手のタイヤメーカー、ブリヂストンの創業者、石橋正二郎は、明治22年(1889年)、福岡県久留米市に生まれました。実家は10人足らずの弟子を抱える小さな仕立物屋で、父は堅気で実直、母は慈悲深く行動的だったとか。幼い頃から学問に秀でた正二郎は、日露戦争の勝利に沸く明治39年(1906年)、17歳で久留米商業学校を卒業。心臓病を患う父の希望に従って進学を断念し、3歳上の兄とともに家業を継ぎました。活発な性格の兄は外回りの仕事、正二郎は店の管理・運営を任されました。
やがて、店を足袋専業に改めて機械化を図ります。それまでの弟子制度を変更して、賃金を払って士気を高め、足袋のサイズごとの価格差を撤廃して、販売時の手間を減らしました。
第1次世界大戦を経て、29歳で、兄とともに日本足袋(現・アサヒシューズ)を設立。足袋の底に糊でゴムを貼り付ける地下足袋を発売しました。当時の労働者は、1日で履きつぶす昔ながらの草鞋を履いていたため、耐久性に富む地下足袋は爆発的人気に。ゴム靴の製造にも着手し、アジアや欧米に輸出しました。
次に取り組んだ事業は、来たるべき自動車時代を見据えたタイヤの生産でした。当時、国内の自動車はわずか数万台に過ぎず、タイヤの多くは高価な欧米産でした。そこで、正二郎は、国産タイヤを安価に供給して、国産自動車の発展に寄与したいと考えたのです。アメリカから機械を取り寄せ、昭和5年(1930年)、国産タイヤ第1号を製造。翌年、ブリッヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)を創立しました。社名は、海外でも親しまれるよう、石橋の姓を英語(ストーン・ブリッジ)にしたものです。技術開発に力を注ぎ、中国大陸や朝鮮半島にも工場を建てました。
第2次大戦下では、軍用トラックや飛行機のタイヤなど、軍需品の生産が主となります。久留米と横浜の工場は空襲を免れ、戦後まもなく自動車タイヤの生産を再開。インフレや天然ゴム相場の大暴落などの苦難を経て、米国のタイヤメーカー、グッドイヤー社と提携を結び、品質向上を実現しました。東南アジアにも工場を建て、大量生産を推し進めます。
正二郎はこのほか、ブリヂストン液化ガス(現・三井丸紅液化ガス)、ブリヂストン自転車(現・ブリヂストンサイクル)、たま電気自動車(のちのプリンス自動車工業、後年、日産自動車と合併)などを創設。従業員の社宅や病院、体育館を建設し、福利厚生の充実にも努めました。
正二郎は、自著「回想記」にこう記しています。
「絶えず時世の変化を洞察して時勢に一歩先んじ、よりよい製品を創造して社会の進歩発展に役立つよう心がけ、社会への貢献が大きければ大きいほど事業は繁栄する」
企業経営のみならず、文化事業でも数々の社会貢献を行いました。九州医学専門学校(現・久留米大学)の創設支援をはじめ、学校施設・教育活動への寄贈や助成は多岐にわたります。
元来、騒がしい娯楽よりも、絵画鑑賞や庭づくりを好んだという正二郎は、30代後半から絵画収集を始めました。41歳のとき、高等小学校在学中に図画を習った洋画家・坂本繁二郎から、夭折した友人・青木繁の絵画を集めて美術館を建ててほしいと相談されます。画家同士の友情に感じ入った正二郎は、10年ほどかけて熱心に買い集めました。
以来、坂本繁二郎、藤島武二、黒田清輝、藤田嗣治、佐伯祐三、安井曾太郎、梅原龍三郎などの日本を代表する洋画、さらには、印象派を中心とした西洋画を収集。戦時下では、コレクションを疎開させて守り抜きました。
正二郎はかねて、名画は個人で秘蔵すべきではなく、美術館を建てて公開し、世の中の役に立てるべきだと考えていました。61歳のとき、グッドイヤー社との提携交渉のため初渡米し、各地で美術館を訪ねて、その社会的役割を痛感したといいます。とりわけ、ニューヨーク近代美術館のように、都心で気軽に美術と親しめる美術館に感銘を受けたとか。
折しも、空襲で焼失したブリッヂストンタイヤ本社ビルの建設を計画中だったため、正二郎はその2階を美術館にすることを決意。昭和27年(1952年)、当時最先端のエアコンや蛍光灯を備えた9階建てのビルのなかに、ブリヂストン美術館が開館しました。戦後の混乱期に都心に誕生した美の殿堂は、多くの人を力づけたことでしょう。
正二郎はさらに、故郷・久留米の石橋美術館(現・久留米市美術館)、世界最高峰の国際芸術展ヴェネツィア・ビエンナーレ(イタリア)の日本パビリオン(日本館)、東京国立近代美術館の新築寄贈と、生涯に四つの重要な美術館の創設に尽力しました。
※アーティゾン美術館では1月24日まで、「琳派と印象派 東⻄都市文化が生んだ美術」展が開催されており、近年の休館中に新しく収蔵された、尾形光琳「孔雀立葵図屛風」(重要文化財)を含む12 点が初公開されています。また、同時開催の特集展示「青木繁、坂本繁二郎、古賀春江とその時代 久留米をめぐる画家たち」では、正二郎が情熱をかけて収集した同郷の画家たちの作品を堪能することができます。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
開催概要
日程
〜2021.1.24
琳派と印象派 東⻄都市文化が生んだ美術
アーティゾン美術館
東京都中央区京橋1-7-2
〔日時指定予約制〕
一般:1700円(ウェブ予約)
2000円(当日窓口販売)
※当日券はウェブ予約券が完売していない場合のみ販売
大学・専門学校・高校生:無料
※要予約、入館時に学生証か生徒手帳を提示
※ウェブ予約をしない場合は一般の当日券で入場可
障がい者手帳提示者、付き添い人1人:無料
※要予約、入館時に障がい者手帳を提示
中学生以下:無料
※予約不要
休館日
月曜、年末年始(12月28日~1月4日)、1月12日
(1月11日は開館)
開館時間
10:00 a.m. - 6:00 p.m. (入館は 5:30 p.m. まで)
※金曜 8:00 p.m. までの夜間開館は当面休止
お問い合わせ
Tel. 050-5541-8600(ハローダイヤル)
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