竜、獅子、麒麟、天馬などの空想上の神聖な生き物を「霊獣」といいます。古代、人々の願いや恐れ、憧れを投影して生み出されて、世界各地に伝播しました。アジアの竜とヨーロッパのドラゴン、アジアの天馬とヨーロッパのペガサスなど、似たモチーフが洋の東西に見られ、いにしえの広範な文化交流を物語っています。
シリーズ「日本美術を駆ける空想上の生き物」では、日本で描かれた霊獣をひとつずつご紹介します。美術展にお出かけの際は、ぜひ彼らの姿を探してみてください。
世界各地に多様な伝説が残る竜、英語ではドラゴン。古来、インドとエジプトには巨大で猛毒を持つコブラが川辺の主として生息していましたが、メソポタミアと中国・黄河流域には小さい蛇しかおらず、この2地域で大河の象徴として、竜が生み出されたともいわれます。
東洋の竜には、インドと中国の2大ルーツがあります。
古代インドでは、コブラを神格化した水の神ナーガが信仰され、のちに仏教に取り入れられて、仏の教えを守る天竜八部衆に数えられました。
一方、中国の竜は、黄河流域の森で猪や鹿、川魚をモデルに生み出され、南の長江流域に伝わって湖や川に住む水の神になったといいます。その後、漢民族が中国全土を支配すると、中国文明のシンボルへと成長したのです。
紀元前に遡る書物『管子』によれば、竜は水中に生まれ、青、赤、黄、白、黒の5色を身に帯び、青虫のように小さくなったり、天地を包み込むほど大きくなったりと、姿を変えるといい、自由自在に天地を行き来するとか。『淮南子』には、竜からあらゆる生物が生まれたと記され、『韓非子』によれば、竜の喉の下に逆さに生えた鱗である「逆鱗」に触れると、激高して相手を殺すといいます。これが「逆鱗に触れる」の語源です。
紀元後2世紀の『潜夫論』によれば、角は鹿、頭は駱駝、目は鬼、腹は蜃(蛇に似た想像上の動物)、うなじは蛇、爪は鷹、手のひらは虎、鱗は魚、耳は牛に似るとか。『後漢書』には、黄河の激流を遡った鯉は竜になると記され、ここから「登竜門」という言葉が生まれました。
漢民族の伝説上の皇帝・黄帝は、体が竜だったとも伝わります。5本爪の竜は、皇帝だけが使える特別な文様とされ、中国北方では9が神聖な数字とされたため、歴代皇帝の衣服には、9匹の竜が刺繍されました。
16世紀成立の『西遊記』では、孫悟空が東海竜王の宮殿から如意棒を盗み出します。また、西海竜王の子・玉竜が火事で宝珠を焼いてしまったことを機に、三蔵法師が乗る白馬となって孫悟空の一行に加わることとなります。
マンガのドラゴンボールでもおなじみの竜の珠は、願ったものを出現させ、雨を降らせ、風や火を呼ぶなどの力があるとされてきました。
日本には6世紀、仏教伝来とともに、インドの影響を受けて中国で発展した竜のイメージが伝わりました。そして、日本古来の蛇信仰とともに、水をつかさどる豊穣のシンボル、雨乞いの主役となったのです。
『古事記』には、須佐之男命が八岐大蛇を倒す神話が記され、仏典『絵因果経』や『法華経』には竜王が登場します。
神道にも取り込まれ、神社の手水舎にはよく、竜がかたどられていますね。村人たちが竜神に祈って雨が降ったという民話も各地に残ります。
昔話の「浦島太郎」の元ネタとされる、日本神話の海幸山幸の話では、彦火火出見尊(山幸彦)が海神から授かった不思議な珠で潮の満ち引きをコントロールします。また、その妻となった海神の娘・豊玉姫の本来の姿は竜です。
桃山時代から江戸時代には、曽我直庵、海北友松、狩野探幽ら名だたる絵師が、雲間を縫って飛び、ときに鋭い爪で珠をつかむ迫力ある姿を描きました。
東洋の竜に翼がないのは、翼を持つ西洋の天使とは違い、天女が天衣をまとって飛ぶのと同じく、気と一体となって飛ぶためといいます。周囲に描かれる雲は、気を表しているとか。
一方、西洋の竜は通常、コウモリのような翼を持ち、鱗に覆われた巨体で、トカゲに似た足と鋭い爪、そして、背中にギザギザがありますね。
歴史を遡ると、古代メソポタミア、そして、その影響を受けたユダヤやギリシアの天地創造の物語に、水にまつわる蛇や竜の神が登場します。『ギルガメシュ叙事詩』には、不死の薬草を蛇に盗まれる話があり、蛇はその脱皮する生態から、不死や生命力、豊穣のシンボルとされました。
ギリシャでは、「鋭い眼光で見る者」の意味を持つ大蛇ドラコーンと結びつき、これが英語の「ドラゴン」の語源といわれます。
ギリシャ神話では、英雄ヘラクレスが九つの頭を持つ水蛇ヒュドラを退治し、英雄ペルセウスは、 頭髪が蛇で、見る者を石に変えてしまうという怪物メドゥーサを倒します。こうした英雄譚は、権力や豊穣を独占する竜を退治し、人間に恵みをもたらすことを意味しているとか。
旧約聖書の『創世記』では、蛇にそそのかされたエヴァがアダムとともに禁断の果実を食べてしまい、楽園を追放されますね。蛇は人間に原罪を犯させた悪の存在、神の敵対者とされたのです。
新約聖書の『ヨハネの黙示録』では、赤い巨大な竜が大天使ミカエルらに退治され、地上へと投げ落とされます。この書が記された1世紀末、ローマ帝国でキリスト教徒への迫害が激化していました。
モンゴル帝国が強大化した13世紀に記された『黄金伝説』には、聖ゲオルギウスが竜を退治して王女を救い、人々をキリスト教に改宗させた話が記されます。ゲオルギウスは迫害で殉教した聖人であり、のちには、東洋との最前線で戦う十字軍の守護聖人ともなりました。
東洋の聖なる竜とは対照的に、西洋の竜は退治されるべき悪の化身とされてきたのですね。その背景には、西洋の観念では自然は人間が支配する対象であり、一方、東洋では共存する仲間であったためといわれます。
竜のイメージは、世界各地の多様な自然観や宇宙観を投影しながら育まれてきたのですね。
※11月29日まで東京国立博物館で開催中の特別展「桃山-天下人の100年」では、安土桃山時代の絵師・曽我直庵による勇壮な「龍虎図屛風」がご覧になれます。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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