日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2020.11.2

【大人の教養・日本美術の時間】日本美術を駆ける空想上の生き物 vol. 1 獅子

竜、獅子しし麒麟きりん、天馬などの空想上の神聖な生き物を「霊獣」といいます。古代、人々の願いや恐れ、憧れを投影して生み出されて、世界各地に伝播でんぱしました。アジアの竜とヨーロッパのドラゴン、アジアの天馬とヨーロッパのペガサスなど、似たモチーフが洋の東西に見られ、いにしえの広範な文化交流を物語っています。

シリーズ「日本美術を駆ける空想上の生き物」では、日本で描かれた霊獣をひとつずつご紹介します。美術展にお出かけの際は、ぜひ彼らの姿を探してみてください。

百獣の王

今回のテーマは、獅子(ライオン)です。

現在、野生のライオンがいるのはアフリカと、インドのごく一部のみですが、かつては、中近東から西アジア、エジプト、ヨーロッパ南部まで広く生息していたようです。

野生のライオンがいない地域にも、ライオンを描いた紋章や国旗、聖人や王者の肖像画が見られます。ライオンの図像は、アレキサンダー大王の東方遠征、十字軍の遠征、モンゴル帝国の支配、シルクロードの交易や仏教の伝播などによって世界各地に広まったのです。

王や神々のシンボル

古代の人々は、見事なたてがみをなびかせる「百獣の王」に、恐れと憧れを抱きました。

古代メソポタミアでは、ライオンを倒す狩人がたたえられ、伝説の王ギルガメシュは、遊牧民を獰猛どうもうなライオンから守る英雄として、武器を持ち、ライオンを抱きかかえる姿で表されます。

エジプトのアメンホテプ3世は、100頭以上のライオンを殺したとされ、のちの古代ローマでは、ライオンと奴隷を戦わせる娯楽が生まれました。

ササン朝ペルシャで生まれた、王がライオンを狩る図像は、後世、中国を経て日本にも伝わり、奈良の正倉院宝物「獅子狩文錦ししかりもんきん」に見ることができます。

ライオンはまた、豊穣ほうじょうをもたらす聖獣として神格化され、大地の女神キュベレの使いや、戦や豊穣の女神イシュタルのお供となりました。占星術では、7月から8月の獅子宮が生命の創造やよみがえりを表します。

ギリシア神話の英雄ヘラクレスは、ライオンを倒し、その毛皮を身にまとう姿に表されました。ヘラクレスが殺したライオンが天に昇り、獅子座になったと伝わります。

わしの頭と翼、ライオンの体を持つ幻獣グリフィンの伝説も各地に伝わりました。「ハリー・ポッター」でその名を知っているかたもいるでしょう。

守護獣

古代エジプトでは、日が昇っては沈む荒野に生きるライオンを、太陽神の守護獣としてあがめました。そして、ライオンの体と王(ファラオ)の顔を持つスフィンクス像が、王の墓を守る存在としてピラミッドの前に建てられました。

西アジアのヒッタイトでは、城や門を守る番神として一対のライオン像が作られました。

やがて、古代インドにライオン像がもたらされます。ライオンは、サンスクリット語(梵語ぼんご)で「シンハー」と呼ばれ、仏教書には「百獣の王」を意味する「師子しし」と記されました。

王権の象徴としてのイメージから、インドでは仏や如来が「人中師子じんちゅうのしし」とも呼ばれました。「獅子奮迅ふんじん」という言葉は、仏がライオンのように猛々たけだけしく、人々に力を与えることを示しています。また、ライオンのえ声に他の動物がひれ伏すことになぞらえて、仏が教えを説いて圧倒することを「獅子」といいます。

釈迦が特に重要な説法をするときには獅子の背に座ったといい、獅子をかたどった仏像の台座「獅子座」が作られました。とりわけ智慧ちえをつかさどる文殊菩薩もんじゅぼさつは、牡丹ぼたんが咲き乱れ、獅子が遊ぶ五台山ごだいさんに住むとされ、獅子の背に乗る姿で知られます。

ライオンの、守護神としてのイメージも仏教に取り込まれ、釈迦の遺骨を納めるストゥーパ(仏塔)の門や、宮殿の入り口に獅子像が置かれました。

仏教とともに中国へ

中国に西方から生け捕りのライオンがもたらされたのは、漢の時代(紀元前202-紀元後220年)といわれ、歴史書『漢書かんじょ』には、虎やひょうまで食い尽くす西域の動物「師」について記されています。

1世紀頃、インドからシルクロードを通って仏教が伝来するとともに、中国にも獅子像が広まりました。中国には野生のライオンがいないため、渦を巻くたてがみに覆われた幻想的な姿に表され、また、獅子に似た姿で角を持つ霊獣「辟邪へきじゃ」の像も作られました。中国を代表する花・牡丹と組み合わせた「唐獅子牡丹」の図像は日本でもおなじみですね。

やがて、朝鮮半島にも獅子や辟邪の像が伝わり、日本には飛鳥・白鳳時代に、仏教とともに獅子像がもたらされました。

日本での獅子七変化

日本の獅子像は、古くは法隆寺の仏像の台座や壁画、正倉院の宝物などに見られ、奈良時代には、薬師寺や興福寺などの大寺に置かれました。東大寺大仏殿の前に立つ八角燈籠はっかくとうろうには、雲の中を駆ける獅子が表されています。

今も各地の寺や神社の入り口に、口を開ける「阿形あぎょう」の獅子と、角を生やして口を閉じる「吽形うんぎょう」の狛犬こまいぬの像がありますね。かつて、一対の獅子像が中国から伝わり、それが平安時代に獅子と狛犬のペアへと変化したようです。狛犬は「高麗(朝鮮半島の古代王朝)の犬」という意味です。

獅子舞の源流は、西域にルーツを持つ仮面劇「伎楽ぎがく」の獅子にあるとされ、正倉院には古代の獅子頭が伝わっています。中国には、ざんばら髪を振り乱す霊獣の仮面舞踊の伝統もあり、歌舞伎の『鏡獅子』で長い毛を振り乱す獅子は、その系譜を物語っているとか。

獅子に乗る文殊菩薩像も中国から伝わりました。能の演目『石橋しゃっきょう』では、文殊菩薩の使いである獅子が牡丹の花に戯れ、獅子舞を舞います。

日本で特に有名な獅子の絵といえば、桃山時代に狩野永徳が手がけた「唐獅子図屏風からじしずびょうぶ」でしょう。金箔きんぱくの大画面に描かれた勇壮な獅子は、注文主・豊臣秀吉の天下を象徴しているようです。

太平の世を迎えた江戸時代には、可愛かわいらしく穏やかな獅子の絵が主流となりました。葛飾北斎は晩年に毎日、獅子を描いたといい、獅子が災いを遠ざけたのか、 数え90歳の長寿を全うしました。

古代の西域から現代の日本へと獅子が紡いできた、長い長い歴史。美術展で獅子に出会ったら、その道のりに思いをせてみてください。

※11月29日まで東京国立博物館で開催中の特別展「桃山-天下人の100年」では、狩野永徳の「唐獅子図屏風」(後期展示・11月3日から)をご覧いただけます。

特別展「桃山-天下人の100年」公式サイトはこちら

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

Share

0%

関連記事