でも実はあの形、世界の宝飾品の歴史のなかでは珍しいのです。今回のコラムでは、古代の
奈良時代の初めに完成したとされる『古事記』では、
そしてのちに、天照大御神は、この時に作られた
古代、勾玉が特別なものだったことが感じられますね。
ところで、勾玉の「玉」の字は「ぎょく」とも読めます。玉は、古代の中国で珍重された、半透明で深い緑色をたたえる
ちなみに、「翡翠」の字は鳥の
一方、「
とはいえ現代のように単なるおしゃれで身につけたのではなく、大人になったしるしや、社会的な地位を表すため、あるいは魔よけのためだったようです。美しい
玉といっても、丸いものだけではなく、Cの字のような形の勾玉、細長い
冒頭でご紹介したとおり、とりわけ勾玉の形は世界的にも珍しく、中国の
日本で玉が作られるようになったのは、紀元前1万3千年、旧石器時代末頃といわれ、当初は、身近な石や貝、動物の牙や骨、粘土などが素材でした。
そして縄文時代前期末頃に、新潟県
鉄やダイヤモンドの工具のなかった当時、硬い翡翠にどうやって孔をあけたのでしょう。同じくらいの硬さを持つ砂を研磨剤として翡翠の表面に
この技術は難しく、割れてしまったものや、孔の方向がずれてしまったものなど、失敗作も数多く出土しています。
こうして作られた翡翠の玉は、北海道から沖縄まで日本列島全域で発見されています。広く交易が行われていたのですね。大きな集落の遺跡でも一つしか出土しないことが多く、貴重な宝石としてムラの有力者やシャーマンなどが身につけたのでしょう。
弥生時代になると、翡翠と同じく緑色の、
日本列島では産出しない
続く古墳時代は、日本史上、玉が最も珍重され、発展した時代です。膨大な数の多彩な玉が作られ、
一大生産地は、緑色の石が採れる北陸から、出雲の
また、大陸や朝鮮半島から金工製品や鋳造技術が輸入され、青銅や銀で作られた玉、さらには、まばゆい黄金製の勾玉も作られました。
一方、海の向こう、朝鮮半島の墓からは翡翠製の勾玉が出土しています。日本とは異なり、冠やベルトの飾りとして使われたようです。かの地では今のところ翡翠の産地が確認されていないため、翡翠製の勾玉は日本から輸入されたとも考えられています。
玉の歴史を通して、古代の壮大な文化交流までうかがい知ることができましたね。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
開催概要
日程
2020.1.15〜2020.3.8
9時30分~17時
※毎週金曜、土曜日は21時まで開館(入館は閉館の30分前まで)
東京国立博物館 平成館
〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
一般1600円、大学生1200円、高校生900円など
休館日
月曜日、2月25日(火)
※2月24日(月・休日)は開館
お問い合わせ
03-5777-8600(ハローダイヤル)
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