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2021.4.14

【ボンボニエールの物語vol.43】見慣れない刻印の物語

台付鳥籠形 台湾総督府刻印
底径4.5 高さ5.3 cm(個人蔵)

かわいい象牙製のひよこが銀製の籠に入ったボンボニエール。底部には見慣れない刻印がある。これは実は、台湾総督府の紋章。今回は台湾と樺太で制作されたボンボニエールをご紹介しよう。

「貝桶形」のボンボニエール

台湾は明治28年(1895年)、日清戦争後の下関条約によって、澎湖ほうこ諸島とともに清国から割譲され、以降、昭和20年(1945年)までの半世紀、日本の統治下におかれた。

その台湾統治のために、明治28年6月に台北に設置されたのが台湾総督府である。総督は軍人が務め、初代は樺山資紀かばやますけのり。その後、桂太郎、乃木希典 、児玉源太郎と続いた。

台湾総督府の庁舎は、東京駅を設計した辰野金吾の弟子・長野宇平治うへいじが基本設計を担当した建物で、大正8年(1919年)に竣工しゅんこうした。赤煉瓦れんが造りで、建物内には、台湾初のエレベーターが設置され、防火のために館内は禁煙とし、喫煙室を別に設けるなど、当時としては画期的な試みがなされた。庁舎は現在、中華民国総統府として使用されているので、台北を訪れた方はきっとご覧になっていることと思う。

その台湾総督府の紋章が、蓋に刻まれたボンボニエールもある。六角形に三脚付きで、「貝桶かいおけ形」とされるが、そう言ってよいのか……。残念ながら、時代も催事名も不明である。

貝桶形台湾総督府紋
5.5 × 4.7 高さ5.5 cm(個人蔵)

もう1点ご紹介するのは、蓋表に神社の図が描かれ、蓋裏に台湾総督府の紋章が刻印されているものである。この神社は、かつて台北にあった台湾神社(後に台湾神宮と改称)を描いたと思われる。

箱形神社図 台湾総督府刻印
7.0 × 4.0 高さ2.3 cm(個人蔵)

台湾神社は明治34年(1901年)に創建された。祭神は北白川宮能久きたしらかわのみやよしひさ親王と大国魂命おおくにぬしのみことなどである。

北白川宮能久親王は、明治28年(1895年)に台湾平定のため、近衛師団長として出征した。しかし、台湾でマラリアに罹患りかんし、同年10月28日、台南にて死去した。皇族で初めての海外殉職者であったことから、出征先で死去したヤマトタケルになぞらえて、台湾神社創建の際の祭神とされた。

台湾神社だけでなく、能久親王終焉しゅうえんの地である台南に創建された台南神社(現・台南市美術館)はじめ、統治下で建立された神社70社余りが能久親王を祭神としていた。

台湾神社は、台湾の総鎮守として、最も重要な神社とされた。総督府は能久親王の命日を「台湾神社祭」と定め、この日を全島の休日とした。大正12年(1923年)4月17日には、皇太子(後の昭和天皇)が台湾訪問の際に台湾神社へ参拝している。恐らくは、その際に制作されたと推測されるボンボニエールである。

行器形のボンボニエール

もう一つは、樺太庁の紋章があるボンボニエールである。

日露戦争後の明治38年(1905年)、ポーツマス条約で日本領となった北緯50度以南の樺太統治のため、明治40年(1907年)に設置された行政官庁が樺太庁である。

行器形樺太庁紋(個人蔵)

このボンボニエールは銀製行器ほかい形で、蓋表に金で樺太庁の紋章を添付し、蓋裏に宮家共通紋を配す。

皇族が樺太を訪問した、一番大きな行事と言えば、大正14年(1925年)の皇太子の樺太訪問であろう。しかし、その際のボンボニエールであれば、宮家共通紋ではなく、天皇家紋を配すと考えられる。そうなると、昭和6年(1931年)8月の閑院宮戴仁かんいんのみやことひと親王の樺太・北海道方面視察の際のものだろうか。

台湾総督府、樺太庁のボンボニエールは、類例も来歴が判明するものも少ない。情報があれば、ぜひお知らせいただきたい。

長佐古美奈子

プロフィール

学習院大学史料館学芸員

長佐古美奈子

学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。

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