四季がある日本。それぞれに良さや美しさがあるが、中でも秋は日本人にとって特別な季節である。灼熱の夏が終わり、涼しい風が吹き始め、豊かな実りの時を迎え、収穫を祝う。だが、やがて枯れ葉が舞い落ち、静寂の冬へと向かう。華やかさと儚さと、「源氏物語」「枕草子」など古典でも好んで描かれた季節である。
七草粥で食されるせいだろうか、春の七草は「せり、なずな……」と浮かんでくるが、「秋の七草」をすらすらと言える人は意外と少ない。萩、桔梗、葛、藤袴、女郎花、尾花(ススキのこと)、撫子と、実は可憐で美しい花が多い。
一昨年の平成30年(2018年)に、守谷慧さんと結婚された高円宮絢子さまは、平成2年(1990年)9月にお生まれになった。お生まれになった秋に因んで、お印は葛。守谷さんとの結婚の際には、ご両家の家紋の周りに絢子さまのお印である葛が全面にデザインされたボンボニエールが配られた。蓋裏には、2人の船出を祝して、金で帆船が描かれたが、これは守谷さんの勤務先が日本郵船であることを掛けたとも言われている。有田焼の名窯、深川製磁の制作である。
秋の七草から、次いでは撫子のボンボニエール。可憐で美しい撫子は、わが国最古の歌集である万葉集に26首も登場するほど、古くから親しまれ、愛されてきた花である。「やまとなでしこ」は、日本女性の清楚な美しさをたたえる称であるが、今や、絶滅危惧種とされているらしい。
その撫子をお印に用いておられるのは、高松宮宣仁親王妃喜久子さま。喜久子さまは最後の将軍・徳川慶喜の七男・慶久公爵と有栖川宮實枝子女王の長女として、明治44年(1911年)にお生まれになった。有栖川宮の血脈を受け継がれている喜久子さまは、有栖川宮の祭祀を継承した高松宮宣仁親王と昭和5年(1930年)に結婚された。これにより、天皇家、有栖川宮家、徳川家が一つとなったのである(【ボンボニエールの物語 vol. 5】明治のボンボニエール 有栖川宮家の物語)。喜久子さまのお印は、徳川家では「亀」であったが、結婚された後「撫子」に変更された。
高松宮両殿下の銀婚式に際し、昭和天皇・香淳皇后が主催された祝宴でのボンボニエールは、皇室を表す菊花形に2人のお印「若梅」と「撫子」があしらわれ、2人を祝すように、飛び鶴が向かい合う。そして、中央には、燦然と菊の御紋が輝いているという寿ぎと高貴さがマックスな意匠である。
実母・實枝子さまを結腸がんで亡くされた喜久子さまは、がんの撲滅活動に関わられるようになる。昭和43年(1968年)には、高松宮妃癌研究基金を設立され、生涯を通してがんとの闘いに寄与された。この基金は、現在でも、喜久子さまの意思を受け継いで活動を続けている。
秋の七草に加え、竜胆や菊などを取り合わせた文様を秋草文と呼ぶ。秋草文は、種々の草花を取りまとめて描くのが特徴である。
冒頭に掲げた重ね色紙形秋草牡丹文ボンボニエールは、香淳皇后の妹・久邇宮智子女王と大谷光暢伯爵が結婚された際のものである。重ね色紙の前面部分は、金地に秋草文を配し、後面は銀地に牡丹を描く。智子女王が9月のお生まれなので、秋草文としたのであろう。牡丹は浄土真宗本願寺大谷家の家紋である。
真鍮にそれぞれ金と銀を鍍金した上に金象嵌で文様を描く、たいへん手の込んだ作品。私の好きなボンボニエールのうち、5本の指に入るものである。私もやはり秋が好きな日本人なのである。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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