新型コロナウイルス感染拡大の影響で、当初3月に予定されていた「日本博記念公演」は無観客となってしまったが、しっかりと収録され、今後テレビ放映されるという。そしてその「日本博記念公演」にはミュージカル「刀剣乱舞」も登場した。そこで今回は勝手に「コラボ企画」として、
鎧兜形のボンボニエール。鎧の胴の部分が滑らかで、胴と草摺(胴の裾から垂れた部分)の間を繋ぐ揺るぎの糸が長いという特徴があり、鍬形をつけた兜、袖はもちろんのこと頰当て・籠手も備えている。これは戦国時代以降に多く用いられた鎧兜、「当世具足」の形式を象ったもの。鎧を形作る札を繋ぐ威糸など、細部にいたるまですべてが銀で表現されている。胴に大きく入るのは閑院宮家紋である。
「日本の鎧の格好良さは反則!」などとも称されるほど鎧兜は現在、外国人に人気のあるアイテムであるが、それが明治~大正期の閑院宮家の慶事で配られていたのである。
皇族と武家の鎧兜には違和感があるが、大日本帝国憲法下においては皇族男子は軍人になることが義務付けられており、閑院宮載仁親王も元帥・陸軍大将であった。武人としてこの形を選定したのか、それとも外国人の好みの反映か、その推定は難しい。
ところで、皆さまお忘れかもしれないが、ボンボニエールは菓子器である。したがってどこかが開いて菓子が入る。この鎧兜形ボンボニエールの開き方は衝撃的で、頭部分が蓋となり、胴部分がケースとなる構造である。慶事に相応しい構造とは少々言い難いが、列席者に好評を博したであろうことは想像に難くない。
外国人に人気のサムライ・アイテムであったからなのであろうか、皇室や他家の饗宴でも兜形のボンボニエールが多く用いられている。現在のところ天皇家紋、杏葉紋、割り菱紋、桜花紋の銀製兜形ボンボニエールが確認されている。
天皇家紋は、外国大使などをもてなす比較的小さな祝宴で配布されたものと思われる。2種類目の杏葉紋は鍋島侯爵家の紋である。所蔵しているのは金沢市兼六園にある成巽閣。成巽閣は加賀前田家の奥方御殿であった建物に、加賀前田家ゆかりの美術工芸品、資料などをさまざまな展示企画を通じて公開している。その中にはボンボニエールも含まれる。
成巽閣に残る共箱の箱書きによれば、このボンボニエールは大正11年(1922年)4月16日に英国皇太子が鍋島侯爵家を訪問した際の饗宴時に作られたもの。英国皇太子、後の英国王エドワード8世は大正10年(1921年)の裕仁親王(後の昭和天皇)訪欧の返礼として来日し、日本各地を訪問し大歓迎を受けた。エドワード自身も島津家を訪問した際に鎧兜姿となるなど各地で「コスプレ」を披露している。(エドワードについては以前お話しているので、そちらもご参照ください→【ボンボニエールの 物語vol.10】大正11年 英国王子がやって来た!)
割り菱紋、桜花紋については紋所も饗宴名も不明であるが、製作は「三越」であることが判明している。このうち桜花紋の方は、蓋を開くと天鵞絨(ビロード)地の台が入っている。恐らくは指輪入れとして制作されたと思われる。こうなるとボンボニエール(=菓子器)と呼んでよいのか、悩める一品である。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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