今までのコラムをお読みいただいた方は、「ボンボニエールは銀製」と理解されていると思う。もちろん多くのボンボニエールは銀で作られた。それは明治維新で職を失った金工職人の技を守り、技術を海外へ広める意図があったことに加え、西洋人は銀が大好きだったことなども要因と考えられる。しかし、vol. 5 でご紹介したように、明治期には、漆塗りのボンボニエールも作られていた。また、昭和15年(1940年)7月7日から、贅沢品の製造や販売が制限され、皇室であっても、銀製のボンボニエールがほぼ作られなくなった時期がある。近年では、色彩の美しい陶磁器製も多くみられるようになった。
そのような各種材質の中でも異色と言える紙製ボンボニエールについて、今回は物語をつづろう。
そのボンボニエールは手箱形。浦島太郎が乙姫からもらった宝物を入れる玉手箱と同様の形である。全体を金地にし、蓋には大きな菊御紋が高蒔絵で描かれている。この菊御紋は花弁が14枚。天皇家の菊御紋が花弁16枚で八重菊なのに対し、こちらは一重で裏菊、菊を裏側から見た文様である。これは天皇家以外の宮家すべてが使用する「十四葉一重裏菊紋」。明治2年(1869年)8月25日に「十六葉八重表菊」が公式に天皇家の紋とされ、天皇家以外での使用が禁止された。その後、明治4年(1871年)に宮家用の紋として「十四葉一重裏菊」が定められ、宮家の慶事の際などに幅広く用いられるようになった。
胴部には、平蒔絵で若松が描かれている。若松は伝統的な吉祥文として多く描かれるモチーフである。どれをとっても、めでたいものばかりで作られているこのボンボニエール、なんと本体部分は紙製なのである。外観は木製漆塗りに見えるが、何しろ薄くて、17 グラムと軽い。紙で出来ているとは、専門家でもすぐにはわからなかった。木製だ、アルミ製だ、紙ではここまで薄くは出来ないはずだ、と議論百出だった。最終的には、蛍光X線という分析機器にかけて「有機質(金属製ではない)」であることまでは判明した。では、一体これは何製で、誰が作ったのか――。
このボンボニエールの制作方法を考案したのは芝川又右衛門と推測される。芝川は、大阪で外国雑貨貿易商を営んだ人物。明治25年(1892年)住友との共同出資により、日本蒔絵合資会社を創設し、紙製漆芝川又右衛門器業を始めた。漆器の海外販路を広げるためには、乾燥に強いものを作らなければならないとの信念から、紙の素地の改良に努め、プレスで紙を固める方法を考案したが、高品質で低価格のものを作らなければならないという、相反する課題の前に理想は砕け、大正5年(1916年)頃には、漆器会社は解散したという。武田五一設計の芝川又右衛門の別荘が愛知県犬山市の博物館明治村に移築・保存されているが、これは2代目のものである。
このボンボニエールには銘もなく、芝川製であるとの確証はない。しかし、ここまで薄い生地で「有機質」であるとすれば紙製としか考えられない。しかも、芝川の方法で制作されたと考えて間違いないだろう。同様の作りのボンボニエールがもう一つ確認されているが、こちらは、どのような時に作られたのか不明である。
手箱形若松蒔絵ボンボニエールは、明治43年(1910年)の日韓併合まで大韓帝国の皇太子だった李垠と梨本宮方子女王が大正9年(1920年)に結婚した際のものである。
自分の結婚を新聞で知った、と方子女王が言うほどに秘密裏に進められた結婚ではあったが、2人は仲むつまじかった。韓国と日本の運命に翻弄された2人は第二次世界大戦後、韓国に移ることを決めたが、まだ日韓国交が樹立されていなかったため、昭和38年(1963年)に至ってようやく、それが実現した。しかし、その時すでに病床にあった李垠は、同45年(1970年)に死去した。
方子はその後、世界各地で宮中衣装ショーを開催するなどして資金を集め、知的障がい者のための施設・学校を設立・運営するなど、韓国のために尽くしたとされる。平成元年(1989年)に死去した際には、準国葬が執り行われた。方子の衣装や道具類は韓国国立古宮博物館に寄贈され、美しく展示されている。2人の運命の物語は、岡田准一さん、菅野美穂さん主演のドラマ「虹を架ける王妃」などで見ることができる。
はかない紙製のボンボニエールから始まった愛の物語は、時代の波に翻弄されながらも、日韓両国の懸け橋となったのである。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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