英国では〔新型コロナウイルス感染症の影響で〕博物館・美術館がまだ開いていない〔執筆時〕ので、取り上げるつもりだった日本美術展は今回見送り、装飾的なモチーフとしての「扇」について論じてみたいと思う。日本美術を何年も鑑賞していて、扇は芸術作品において副次的な役割を果たすばかりでなく、図柄、あるいは主題ともなり得ることに気づかされたからだ。
扇は古くから、どの文明においても、涼むため、あるいは儀式を執り行うための道具であったし、舞台の小道具であったり、社会的地位を象徴するものであったりもした。
アジアの場合、扇は中国で生まれ、日本に伝わったものだろう。ただ、折りたたみができる扇子は、7世紀頃、日本で発明されたと考えられている。最初は天皇や公家たちによって用いられたが、やがておしゃれの道具とみなされるようになり、上から下へとだんだんに広がっていった。
扇はどのようなタイプのものであれ、その表面に飾りを施すことができるが、やがて、絵を伝達するメディアとして重要な役割を果たすようになった。書や詩文を載せる媒体ともなった。能楽師の演技を強調するために舞台上で用いられる道具の一つとして、欠かせないものでもある。
俵屋宗達や尾形光琳ら日本の名高い絵師たちは、扇絵を描くこともあった。それらの作品は重宝され、扇骨から外されて、ほかの書画と貼り交ぜにされることもあった。江戸時代に木版画が発達すると、版画扇が流行するようになった。美しく飾られた扇は西洋でも人気を集め、19世紀には、アングルやコローといった作家たちが扇に絵を描いた。
扇絵はみな美しいが、私は、日本の絵師たちが好んで扇を装飾図柄として用いていることにこそ、好感を覚える。丸みのある部分と一点に集約される部分を併せ持つ扇の飾りとしての効果は、数々の作品から見て取ることができる。金地の屏風に、それぞれの意匠を自己主張しているかのような扇が連なっていると、装飾模様として、見ていて心地が良い。
扇を散らしたような図柄にすることによって、作家は全体図の中にさらに小テーマを取り込むことができる。宗達派による「扇面散屏風」では、「源氏物語」や「伊勢物語」の物語絵、名所の風景などが描かれている。
扇は織物に表れることもある。開かれた扇は末広がりで縁起が良いとされるから、着物の装飾図柄にもなったのだ。扇を花や草木、様式的な文様に絡めた意匠は無数にある。異なる形がいくつか併せられて一つのまとまりとなり、まとまりとまとまりが衣装の上で見事な対照を成すと、とてもスタイリッシュだし、往々にして大胆でもある。
能装束にもそれは表れ、垂れ下がる藤にかるたと扇をあしらっているような江戸時代の衣装が一例だ。
斬新な形状や文様が貴ばれた織部焼の扇形の陶器も、たいへん魅力的だ。17世紀に出現したこのかわいらしい形の陶器は、おもてなしのための器だから、何点かずつのセットで作られた。
葛飾北斎は図柄としての扇を画題とした。肉筆画である「扇面散図」(東京国立博物館、トップ写真)には、いくつかの扇がリズミカルに並ぶ。開かれた何点かの扇は方々を向いていて、丁寧に取りそろえられたいくつかの装飾図柄が際立つ、魅力的な静物画となっている。絹本着色のこの作品は北斎が亡くなったその年に描かれたものだ。感慨深いものがある。
ジャポニスムの影響下にあった19世紀末の西洋で、日本でもそうであったように、装飾図柄としての扇が画家たちの創作意欲を喚起していたことは興味深い。
図柄としての扇は、現代の日本でも、時候のあいさつ状によく表れる。私の目には、 扇の図柄は日本の美をダイナミックに映し出し、日常的なものを目がくらむような装飾に一変させるものだ。
プロフィール
美術史家
ソフィー・リチャード
仏プロヴァンス生まれ。エコール・ド・ルーヴル、パリ大学ソルボンヌ校で教育を受け、ニューヨークの美術界を経て、現在住むロンドンに移った。この15年間は度々訪日している。日本の美術と文化に熱心なあまり、日本各地の美術館を探索するようになり、これまでに訪れた美術館は全国で200か所近くを数える。日本の美術館について執筆した記事は、英国、米国、日本で読まれた。2014年に最初の著書が出版され、その後、邦訳「フランス人がときめいた日本の美術館」(集英社インターナショナル)も出版された。この本をもとにした同名のテレビ番組はBS11、TOKYOMX で放送。新著 The Art Lover’s Guide to Japanese Museums(増補新版・美術愛好家のための日本の美術館ガイド)は2019年7月刊行。2015年には、日本文化を広く伝えた功績をたたえられ、文化庁長官表彰を受けた。(写真©Frederic Aranda)
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