「天下人」というと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のいわゆる三英傑が連想される。一方、近年の研究で信長以前の天下人として注目されているのが、三好長慶だ。
実際、
天理大の天野忠幸准教授(日本中世史)によると、日本に訪れた宣教師の記録などでは、天下人の概念は山城、大和、摂津、河内、和泉の京都周辺の畿内5か国の領主を指す。畿内には政治の中心の京都とともに当時の経済の中心だった堺(大阪府)も含まれ、現代で言う首都圏にあたる。
長慶は阿波出身の戦国武将。現代で言えば副知事クラスの身分ながら、幕府に不満を持つ畿内の有力国人の支持を集め、室町将軍・足利義輝を京都から追放した。「将軍がいなくても京都を支配できることを実証した実力者」(天野准教授)で、信長にも大きな影響を及ぼした。
長慶死去(1564年)の4年後、上洛を果たした信長の目的も、畿内の平和と秩序を維持することにあったとする解釈が、近年の戦国史研究では盛んだ。信長の死後、後継者として全国を統一した秀吉、江戸幕府を開いて戦乱の世に終止符を打った家康を経て、「天下人」の意味は、全国支配を成し遂げた武家のトップを指すようになった。
(2020年10月4日読売新聞より掲載)
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