これまでこのコラムで書いてきたように、ボンボニエールは饗宴ごとに意匠を決めて制作されている。つまり、ボンボニエールの意匠をみれば、何の饗宴で配られたかが判明したわけで、そこからこの物語を紡いできた。しかし、和船形ボンボニエールの回で予告したように、実は年代や祝宴名が特定できない、という特殊なカテゴリーに属しているボンボニエールがある。【⇒ボンボニエールの物語vol.22「ここが開くのか、このボンボニエール!の物語」】今回はそのお話をしよう。
古の貴人たちの乗り物、牛車の形を模したボンボニエール。銀製の屋根の部分には鳳凰が描かれ、天皇家紋を配す。その屋根の部分がスライドし、中に菓子が入る。柄まで含めると、長さ8.8センチ。何とも雅やかな可愛らしいボンボニエールである。平安時代の実際の牛車は、唐車、雨眉車、檳榔毛車、網代車、八葉車など、身分により使用できる種類が異なっていた。鳳凰文は架空の様式である。
牛車形ボンボニエールは、外国大使などをもてなす比較的小さな会で配られた。宮内庁に残る外国公使との午餐会に関する史料には
「ボンボニエールハ甲、丸鳥籠、角鳥籠、伏籠、閑子鳥、御所車、御駕籠、御座舟 五十個ヲ用意ス」
とあり、このような席では、ボンボニエールを何種類か取り混ぜて使用していたことがわかる。また、そういったボンボニエールについて
「饗宴用『ボンボンニエール』ハ(中略)使用ノ場合ヲ予想シ、意匠数量等大体ノ見込ヲ以テ製作セシムル」
という記載もある。ボンボニエールをあらかじめ作り置きしていた、ということである。
大きな饗宴の場合には、そのためのオリジナルデザインで制作したボンボニエールが配布されるが、小規模な晩餐会や午餐会では、あらかじめ意匠を決め、発注し、作り置きしていた、いわば、備品のボンボニエールを使用していたのである。
その際、使用されるボンボニエールは数種類を数個ずつ配布しているので、同じ饗宴に列席していたとしても、持ち帰ったボンボニエールは個人により異なり、さらには、異なる饗宴に出席していても、同種同形のボンボニエールを所有する人がいた可能性が大きいのである。
こういった作り置きされたボンボニエールの形は、史料にあるように、甲、鳥籠、伏籠、閑古鳥、牛車、駕籠、御座舟などであった。これらは、いずれもいかにも日本的と言える意匠である。
皇室は、外国からの賓客が日本的な意匠のものを好むことをよく理解しており、このような意匠のボンボニエールを持ち帰ってもらえれば、日本の伝統文化や金工産業の技術力の高さを広める役割を担うことができると考えたのであろう。
ボンボニエールは、掌上の外交官でもあった。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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