緊急事態宣言が解除され、6月19日には、全国的に移動も自由となった。まだまだ新型コロナへの備えは必要だが、何となく気持ちが晴れやかになってくる。そこで、今回はとっておきの、可愛らしいボンボニエールをご紹介しよう。
以前、上皇さまご誕生の物語で、私が一押しする可愛い「犬張子形」をご紹介したが(→【ボンボニエールの 物語vol.12】昭和8年 上皇さまご誕生の物語)、今回は、すでに昭和天皇のご結婚の物語で登場を予告していた「うさぎ置物形」(→【ボンボニエールの 物語vol.11】大正13年 正倉院宝物技法のボンボニエールの物語)、そして「でんでん太鼓形」についての物語である。
皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と久邇宮良子女王は大正13年(1924年)1月26日に結婚された。だが、そこに至るまでには長い道のりがあった。
お二人の婚約が内定したのは大正8年(1919年)6月。しかし、いわゆる「宮中某重大事件」がおこり、なかなか進展しなかった。ようやく大正11年(1922年)6月20日に大正天皇の勅許が下り、9月18日に納采の儀が行われ、翌大正12年(1923年)には、婚儀を執り行う予定で準備が進められた。しかし、同年9月1日に関東大震災がおこり、その被害を憂慮した裕仁親王の意思により、婚儀は延期されたのである。そして年が改まった大正13年新春、ついに結婚の運びとなった。
婚儀を1週間後に控えた1月19日、久邇宮家では良子さまとの送別の宴が執り行われた。うさぎ置物形はその際のボンボニエールである。
良子さまは明治36年(1903年)3月6日、久邇宮邦彦王・俔子妃の第1女子として誕生した。明治36年が卯年(うさぎどし)であったことから、良子さまはうさぎの意匠をこよなく愛した。川合玉堂や前田青邨に指導を受けられ、日本画を趣味とされていた良子さまであるが、その画題にも「うさぎ」が度々登場する。昭和38年(1963年)にタイ国王が来日された際には、ご自身が描いた波兎の絵をもとにデザインされた和服をお召しにもなっている。
良子さまのお好みを反映して、ボンボニエールがこの意匠となったことは明らかである。 細かく彫られたうさぎの毛の質感をぜひご覧いただきたい。ちなみに良子さまのお印は以前お話ししたように「桃」である(→【ボンボニエールの物語vol.17】ひな祭りとボンボニエールの物語) 。
昭和天皇と良子さまは、大変仲の良いご夫婦で、夫婦喧嘩をしたことは一回もなかったといわれるほどである。お二人の間には2男5女、7人の皇子女が誕生した。その6番目、第二皇子として昭和10年(1935年)11月28日にお生まれになったのが、義宮正仁親王である。昭和39年(1964年)9月30日、津軽華子さまとの結婚に際し、常陸宮家を創設されたので、常陸宮さまとも呼ばれる。その正仁親王のご誕生ご内宴の際に下賜されたのが、このでんでん太鼓ボンボニエールである。
でんでん太鼓は言わずと知れた赤ちゃんをあやすおもちゃ。兄宮明仁親王(上皇さま)誕生の際には犬張子形ボンボニエールであったので、ご兄弟で「おもちゃ」シリーズのボンボニエールを意図したのであろう。締めの糸を銀糸で表現し、柄や太鼓面は銀といぶしを組み合わせるなど、なかなか凝った作りである。開き方も独特で、巴文の部分がくるりと回転する仕掛けなのである。
ここまでしてお菓子を入れる工夫。頭が下がります。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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