現在新型コロナウイルス感染症により、全世界が人類史上前例のない苦難に直面している。この状況下、この感染症に命がけで立ち向かっているのは、医療に従事する方々である。 最前線で戦う医療従事者の方々への感謝の気持ちを伝えようと、世界各地で様々な取り組みが始まっている。
医療従事者への感謝の気持ちを表す方法として、世界中で多くの方が参加しているのは「拍手」をおくることであろうが、それ以外でもいろいろな形で感謝が表現されている。例えば、4月27日から5月2日まで、東京タワーが「青色」にライトアップされ、「ARIGATO」の文字が添えられた。ブルーでライトアップする運動は当初ロンドンで始まった。「青色」はイギリスの国営医療サービスを象徴する色であるとのこと。今では英国から世界中に広がりを見せている。
日本赤十字社などが立ち上げたのは「#最前線にエールを何度でも」プロジェクトである。最前線の現場に立つ全国の医療従事者に、医療ドラマの主題歌でもあった DREAMS COME TRUE の「何度でも」をメッセージソングとして、エールをおくろうというものである。著名な歌手たちだけでなく、一般の人々も自宅からこの曲を歌い、ネット上にアップすることで応援をしているのである。
この活動を立ち上げた日本赤十字社は、明治10年(1877年)に佐野常民が設立した博愛社がその前身である。明治19年(1886年)、日本政府が国際赤十字組織に加入したことに伴って、その翌年、名称を日本赤十字社と改めた。
国際赤十字組織は1864年に誕生した。その始まりは1859年、イタリア統一戦争の激戦地の惨状を目の当たりにしたスイス人の実業家アンリ・デュナンが敵味方の差別なく傷ついた兵士を救うことを訴え、その考えに各国が賛同したことによる。
日本では西南戦争の際に多数の負傷兵が手当てもされずにいたことから、救護団体の設立を急務と考えた佐野が、有栖川宮熾仁親王に博愛社設立の趣意書を差し出し、許可された。博愛社設立直後に宮内省は1000円を下賜、明治16年(1883年)以降は、昭憲皇太后より毎年300円が下賜されるようになり、日本赤十字社と改称してからは、さらに多額の資金が毎年下された。また多くの皇族妃が赤十字社名誉会員となった。
このように皇室と赤十字社の結び付きは強く、現在も雅子皇后が名誉総裁を務められている。
明治45年(1912年)、ワシントンで開催された万国赤十字総会において、昭憲皇太后から赤十字の平時活動(人道支援)の奨励のためとして10万円(現在の3億5千万円相当)という大金が寄付された。この下賜金は「昭憲皇太后基金(エンプレス・ショーケン・ファンド)」と命名され、現在に至るまで100年以上、原資を切り崩すことなく、その利子が毎年昭憲皇太后の命日である4月11日に世界の赤十字社の活動へ配分されている。日本ではあまり知られていないが、世界では、エンプレス・ショーケンとナイチンゲールは同じくらい有名なのである。
冒頭写真のボンボニエールは、昭和9年(1934年)10月19日に日本で開催された万国赤十字第15回会議、帝国ホテルでの午餐の際に配布されたものである。この大会には各国政府・赤十字社代表者約350人が参加するという大規模なものであった。閑院宮載仁親王が日本赤十字社総裁であったことから、蓋表には閑院宮家紋が付され、蓋の裏には赤十字が施されている。日本赤十字社関係では恐らく唯一のボンボニエールだろう。
新型コロナウイルスが終息し、医療従事者の方々が穏やかな日常に戻られることを心より祈るばかりである。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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