近代の皇室では、美術の奨励と保護の一環として帝室技芸員という栄誉職を設け、1890年(明治23年)から1944年(昭和19年)まで、総勢79人の美術・工芸家が任命された。そのなかの1人である下村観山(1873~1930年)が24歳の頃、展覧会で銀牌を受賞した作品が「光明皇后」だ。
光明皇后は奈良時代、聖武天皇の后として、人々の救済と仏教の興隆に努めた。本作では、香をたく侍女とともに立て膝で野に咲く花に合掌し、手折らないままの花を、過去・現在・未来の三世仏にささげている。
江戸時代には、実際とは異なる十二単姿で絵画に描かれることがあった光明皇后だが、近代になると、古代の風俗で描かれるようになった。特に本作は、国学者の黒川真頼が同時期に発表した上代・古代の風俗についての詳細な論文が関係していたとされる。観山はそれまでの数年の間に、奈良で古画模写事業に従事していたので、その成果とも言えるだろう。
ふくよかな顔と体は観山が得意とした美しい線でかたどられ、紗のような透けた衣装は、皇后が暖色系、侍女が寒色系でまとめられ、「カラリスト」と称された観山の美しい彩色も見どころ。
観山は本作制作翌年の1898年、東京美術学校の校長だった岡倉天心に従い、在野の日本美術院の創設に加わった。「天心の頭脳が観山の右手を動かす」とも言われ、当時の観山作品には、天心の意図が反映されたものもある。
本作は宮内大臣として昭和天皇の補佐も務めた牧野伸顕の旧蔵で、1941年に皇室へ献上された。牧野は天心と親交があった。制作から半世紀近くがたって皇室に献上されたのは、40年が皇紀2600年の祝典にあたり、牧野がその記念章を受章したことと関係があるのかもしれない。
観山はこの時すでに故人となっていたが、若き日の大作が皇室に入ると想像しただろうか。
(皇居三の丸尚蔵館主任研究員 清水緑)
◆ 展覧会「皇室の名宝と新潟―皇居三の丸尚蔵館収蔵品でたどる日本の技と美」
【会期】2月7日(金)~3月16日(日)。2月17日(月)、25日(火)、3月10日(月)休館。会期中、一部展示替えあり。
【会場】新潟県立近代美術館(新潟県長岡市)
【主催】新潟県立近代美術館、皇居三の丸尚蔵館
【特別協力】文化庁、紡ぐプロジェクト、読売新聞社
【問い合わせ】0258・28・4111
(2025年2月2日付 読売新聞朝刊より)
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