明治天皇は刀剣に造詣が深かったことが知られるが、その他の美術工芸品についても、強い関心をうかがわせるエピソードが伝わる。
明治天皇崩御の翌1913年(大正2年)、天皇の身近にあった品々とともにその治世を回顧する明治記念博覧会が東京・上野公園で開催された。そのなか、「御愛玩の品」として紹介されたのが、この「稲穂に群雀図花瓶」だった。
作者の濤川惣助(1847~1910年)は京都の並河靖之とともに明治時代の七宝家を代表する存在。金属線を用いる有線七宝ではなく、無線七宝で絵画的表現を完成させ、高く評価された。天皇が好んだ本作はしかし、七宝で作られたものではなく、陶磁器だ。
濤川は七宝家として成功を収める前、殖産興業策に後押しされる形で輸出向けの陶磁器を製作。陶磁器の産地である有田や瀬戸から花瓶などの素地を仕入れ、陶画工が絵付けを施して製品化していた。本作もその手法で作られ、1881年(明治14年)の第2回内国勧業博覧会に出品されると、皇室に買い上げられた。
高さ75.5センチの大型花瓶が対になっている本作は、それぞれの花瓶の表裏に相異なる図様が描かれているのが特徴。底部の銘から、東京の陶磁器絵付け工場・瓢池園などで絵付けを請け負っていた泉梅一の作とわかる。
花瓶の表側に描かれているのは収穫を終え天日干しされた稲に群がるスズメ。裏側に回ると、場面が切り替わり、スズメに襲いかかるカラスが描かれている。物語が表から裏へと続いているわけだ。裏側には飛び去るスズメ、稲穂に隠れ、やり過ごそうとしているスズメも描かれている。
明治天皇は創意工夫と遊び心に富むこの絵付けを見て、つかの間のひとときを楽しく過ごしたのだろう。
(皇居三の丸尚蔵館主任研究員 岡本隆志)
◆ 展覧会「皇室の美術振興-日本近代の絵画・彫刻・工芸」
【会期】〔2024年〕12月22日(日)まで。月曜休館
【会場】皇居三の丸尚蔵館(皇居東御苑内)
【問い合わせ】050・5541・8600(ハローダイヤル)
(2024年12月1日付 読売新聞朝刊より)
0%