2019.10.15

【北条時宗書状】元寇時の好史料

北条時宗書状 鎌倉時代 13世紀 九州国立博物館蔵

鎌倉幕府の執権・北条時宗(1251~84年)の書状。宛所あてどころは省略される。時宗が宛先の人物に依頼していた「異賊降伏いぞくこうふく祈祷きとう」の実施期間が「昨日」(6月18日)に満了したことを大いに喜び、今後も祈祷に意を用いるようにと伝えたものである。

宛先の人物については、時宗の従兄弟である僧・頼助とする説、および時宗が帰依した渡来僧で建長寺5世住持で円覚寺開山の無学祖元(1226~86年)とする説があるが、本書状を鎌倉・円覚寺所蔵の「北条時宗書状」(重要文化財)と比較すれば、後者の説に従うことはできない。

円覚寺所蔵の書状が書止文言かきとめもんごんを「恐惶謹言きょうこうきんげん」とし、無学祖元を直接の宛先とせずに「円覚禅師方丈侍者」宛とするなど、厚礼であるのに対し、本書状は書止文言を「恐々謹言」とし、宛先を省略するなど薄礼である。

また、本書状の署名「時宗」の部分は、時宗自筆と目されるが、「時」の字を草書で署す点も薄礼である。したがって、薄礼な文書様式・文言・字体を用いる本書状が、時宗が帰依・尊崇する無学祖元に宛てたものであるとは考えられない。従兄弟の頼助に宛てた書状とみなすのが妥当である。

1281年(弘安4年)4月、モンゴル軍の再来が危惧されるなか、時宗から「異国降伏祈祷」を命じられた頼助は、同月20日から26日までの7日間にわたり、如法にょほう尊勝法そんしょうほうを実施している(鎌倉・明王院文書「異国降伏御祈祷記」)。一方、モンゴルの東路軍4万は5月21日に対馬、6月6日に博多に襲来したのち、同月下旬に壱岐に移動し、翌7月には江南軍10万との合流を期して鷹島に移動したが、うるう7月1日の暴風雨で壊滅している。

本書状は、弘安の役の最中において、執権時宗の周辺で「異賊降伏祈祷」が実施されたことを示す好史料である。

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