日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2022.10.14

さよなら国立劇場 … 尾上菊五郎さん 思い出語る

思い出深い国立劇場の舞台に立つ尾上菊五郎さん(東京都千代田区の国立劇場で)=米田育広撮影

〔2022年10月〕2日に80歳の誕生日を迎えた歌舞伎界の第一人者、尾上菊五郎さんは、国立劇場(東京都千代田区)に103公演もの出演歴を誇ります。令和の歌舞伎界トップに立つ菊五郎さんは、若手の頃から国立劇場で大役に挑み、芸の「引き出し」を増やしてきました。ほぼ半世紀に及ぶ「初代」劇場で過ごした日々や、将来の「二代目」劇場への期待を語ってもらいました。(聞き手は日本芸術文化振興会の織田紘二・元理事、大和田文雄・同理事。構成は文化部・森重達裕)

 

時を重ねて輝いた舞台

 
振り返る国立劇場公演
「青砥稿花紅彩画」弁天小僧菊之助(1971年3月)  国立劇場提供
「南総里見八犬伝」犬山道節忠与(2015年1月)  国立劇場提供
「児雷也豪傑譚話」児雷也(1975年3月)  国立劇場提供

「仮名手本忠臣蔵」早野勘平(2016年11月) 国立劇場提供

若き日の学び 復活狂言の原点

――菊五郎さんの国立劇場初出演は、開場1年半後の1968年6月、四代目尾上菊之助時代に「摂州合邦辻せっしゅうがっぽうがつじ」の浅香姫で、当時、25歳でした。


菊五郎 1年半、お呼びじゃなかったんだ(笑)。それは全然覚えてないけれど、「弁天小僧」や「八犬伝」「天一坊」の通し(上演)を、あと、今となっては全然思いもつかないだろうけど「朝顔日記」の通しも国立でやらせてもらいました。例えば「弁天小僧」でも、通しを経験すると次に見取り(一部上演)でやった時、とてもやりやすい。体の中に(気持ちが)入っているから。本当に勉強になった。私は国立劇場に育てていただきました。

――「児雷也豪傑譚話ものがたり」の復活も国立が初演(75年)で、その後、他の民間劇場でも上演されました。

菊五郎 あの頃の中心は父(七代目尾上梅幸)と市村羽左衛門さんでしたが、その頃から私も「ここはちょっと(演出を)こうしたいな」とは思っていた。その後、紀尾井町のおじさん(二代目尾上松緑)の復活狂言にも出させていただき、オリジナルのものを作るにあたっての心構えを稽古場で一緒に考えられたのが幸せでした。それが今、私がお正月に色々な狂言を復活させている原点です。

国立劇場の思い出を語る尾上菊五郎さん(東京都千代田区の国立劇場で)=米田育広撮影
 

歌舞伎鑑賞教室で大役

――主に青少年向けの「歌舞伎鑑賞教室」では若い頃から大役に挑まれてきました。当代一の当たり役「仮名手本忠臣蔵」の早野勘平も70年7月、27歳の時の鑑賞教室が初演で、2016年11月、国立劇場50周年記念公演でも五、六段目の勘平を演じられました。

菊五郎 勘平は紀尾井町に教わりました。先輩に教わる時、「あ、これはこうですね」なんて一言、言おうもんなら「お前、わかってるんなら言わねぇよ」と、そこで終わっちゃう。師匠によって教え方の癖が色々ありました。今も迷う時は、ふっと、教わった言葉を思い出すと、原点に戻れます。紀尾井町からは「行儀良くやれ」と言われました。それは、(二代目松緑の師匠だった)六代目(菊五郎)の言葉ですよ。

――歌舞伎俳優の養成事業についてうかがいます。今では全体の3割以上が研修の出身者になりました。

菊五郎 最初の頃は「素人が20歳近くになって役者になるなんて、そんなヤツらダメだ」って古参が言ってたのが、今や主流ですから。みんな歌舞伎を下支えしてくれています。一時期は応募者は多かったけど、今は少なくなって困っちゃう。やっぱり、これ(お金)の問題なんだろうけど。

気軽に「一幕見ようか」

――近年、お正月と言えば菊五郎劇団の復活狂言が定番です。その年の流行を入れるなど趣向がたくさんありますね。

菊五郎 そういうのも、紀尾井町のおじさんが始めたものです。毎年、腹案は色々ありますけどね。台本を読んで「こうかな、ああかな」と、劇団で今まで勉強させてもらった引き出しから考えるんです。あと、テレビCMをよく見ます。企業が社運をかけて一生懸命作っているものだから。今度は化け猫を出すので、ネコが出てくるCMを……。歌舞伎って、何でも吸収しちゃおうという貪欲さがあるんです。

――「菊五郎劇団」と銘打った公演は、今では国立のお正月だけです。

菊五郎 そうですね。結局、劇団の何が良いって、稽古場の雰囲気が良いんですよ。みんなツーカーで、アイデアを出しあって「はい、それ却下!」なんてね。年末と元日は休んで、初日の前日、1月2日の舞台稽古で顔を合わせる。その休みが結構、効くんですよ。稽古で「何かしっくりこないな」と思っていたものが、芝居のことを考えながら年越しすると、ふっと何か、違うものが出てくるんです。

――国立劇場でのお正月公演も、来年がいったん最後になります。

菊五郎 やっぱり劇場が一つなくなるのは寂しいですよ。新しくできる劇場は、みんながふらっと気楽に来てくれる雰囲気になればいいですね。新しい演劇の街みたいになって、「ちょっと一幕見ようか」と気軽に通える劇場になれば、ありがたいと思います。

――上層階にはホテルもできます。お酒がお好きですから、すてきなバーもできるといいですね。

菊五郎 そりゃあ、ねぇ(笑)

おのえ・きくごろう 1942年10月2日、東京生まれ。父は七代目尾上梅幸。丑之助、菊之助を経て73年に七代目尾上菊五郎を襲名。音羽屋(菊五郎家)当主として「弁天小僧」「魚屋宗五郎」など江戸の世話物をはじめ当たり役は数知れない。2003年に人間国宝、21年に文化勲章。12年から日本俳優協会理事長を務める。

Share

0%

関連記事