日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2022.3.11

【歌舞伎インタビュー】22年ぶりの『新・三国志 関羽篇』初演とはまた違った味わいで―「三月大歌舞伎」市川笑也さん

歌舞伎座(東京・東銀座)で3月28日まで公演中の「三月大歌舞伎」。第一部で上演されているのは、22年ぶりとなる『新・三国志 関羽篇』だ。「劉備玄徳は女性だった」という設定で話題になったこの作品、その劉備を演じるのは、初演と同じ市川笑也さんだ。(聞き手は事業局専門委員・田中聡)

インタビューに答える市川笑也さん(青山謙太郎撮影)
「劉備玄徳=女性」の衝撃 初演は大反響

――『新・三国志』を3月に歌舞伎座で上演されるということは、以前、このインタビューシリーズでも当代の市川猿之助さんがおっしゃっていたのですが、どこの部分をどういうふうに上演するのか、ということは伺っていませんでした。蓋を開けてみれば、『新・三国志 関羽篇』を完全リニューアルしての上演になりました。

笑也 初演の時は大変な反響で、新橋演舞場で初演した後に、名古屋、大阪などでも上演して、福岡の博多座に行ったんですよ。沢瀉屋としては初めての博多だったと思いますね。補助席を出すだけじゃなくて、立ち見のお客さんも限度一杯まで入ってもらって、ありがたいことにそこでも大変な人気になりました。

公演中に地元のデパートにウィンドーショッピングに行ったら、店員さんに「笑也さんですか」って声をかけられて、貴賓室みたいな所に連れて行かれてコーヒーは出てくるは、ケーキは出てくるは(笑)…そんな話があったぐらいでした。

――「劉備玄徳は女性だった」という設定が予想外のもので、ずいぶんと話題になりましたね。

笑也 まあ、中国の方に言わせると、「あり得ない」そうなんですけどね。当時、お友達だった胡弓奏者の楊興新さんに「今度、三国志やるんですよ」と話したら、「笑也さん、孔明でしょう」って言われて。「イヤ、劉備で、しかも女性という設定なんですよ」といったら、「それはダメ、中国では許されない。誰も見ないよ」って(笑)。

孔明だったら分かるそうなんですよ、女性が持つような扇を持っているから。でも、劉備は「あり得ない」。やはり中国は「本場」ですから、そういう所には譲れない線引きがあるんでしょうね。

限られた上演時間で メッセージを浮き彫りに

――『新・三国志』は、「関羽篇」が好評で、「孔明篇」「完結編」と全部で3作がシリーズで作られました。いずれも「スーパー歌舞伎」らしい大がかりな仕掛け、スペクタクルな演出が見ものでした。今回は、3部制の第1部ですから上演時間も短くなっていますし、宙乗りはありますが、派手な演出の多くが省かれてますね。

笑也 そうですね。上演時間も短いし、いろんな場面がカットされてます。そもそも上演時間が3時間半あった芝居ですから、今回の歌舞伎座の公演に合わせて新たに構成し直されています。

初演の時は、「赤壁の戦い」の場面では、船が燃えながら真二つに割れて沈んでいくという演出があったし、毎分23トンのホンモノの水を使った中での大立ち回りもありました。コロナ禍の今のご時世では、感染防止のため、そういう大がかりな演出はできませんし、師匠の提唱する3S(ストーリー、スピード、スペクタクル)の「スペクタクル」がない分だけ今回は「スーパー歌舞伎」とは謳いません。

ただ、そういう派手な演出がないだけに、セリフ劇の要素が強調されている、ということはあります。「弱い者がいじめられる世の中を変えていきたい」という劉備の思い、戦争反対というメッセージ、そういうものが浮き彫りになっている感じはあります。

新しい時代にふさわしい歌舞伎を目指して三代目市川猿之助が1986年に始めた「スーパー歌舞伎」。『新・三国志 関羽篇』はその7作目として1999年4~5月、新橋演舞場で初演された。『新・三国志Ⅱ 孔明篇』は2001年、『新・三国志Ⅲ 完結編』は2003年の初演である。京劇の立ち回りを取り入れ、加藤和彦作曲の音楽、毛利臣男の衣裳デザインなど、従来の歌舞伎の枠を打ち破ったスタッフ構成で、スケールの大きな物語世界を作り上げた。今回が歌舞伎座では初の上演となる。

――もっとも大きな改変は、どこなのでしょうか。

笑也 初演では、幕開けから京劇の立ち回りがあって、そこで後に劉備と関羽が出会うんですよ。そこで「おまえは女か」とばれるシーンがある。今回は、その立ち回りがないので、一幕目の途中まで、見ている方には「劉備が女だ」とは分からない。だからお芝居のやり方というのは、やっぱり少し違います。

――まあ、この設定はすでに有名なので、こういうふうに説明しても、「ネタバレ」にはならないとは思いますが、リニューアルして、違う芝居になっている部分もあるんですね。

笑也 宝塚歌劇的な「男装の麗人」を女形である男性の私が演じているわけですから、結構複雑です(笑)。関羽も師匠(三代目猿之助)から今の猿之助さんに替わって、また少し違う味になっている。

ただ、(前回はいなかった市川)中車さんの演技もすばらしい。セリフがきちんとこちらの心に入ってくるんですよ。だから、こちらもセリフがいいやすい。セリフのキャッチボールができる。それで、前回の同じように「夢見る力」というキーワードはちゃんと浮かび上がるようになっています。

スーパー歌舞伎も早や40年! 古典と同じように扱われる時代に

――「スーパー歌舞伎」も生まれてから40年近く経って、歌舞伎のひとつのジャンルとして定着してきた。それについては、どんなふうにお考えですか。

笑也 結局は、古典歌舞伎も私たちがやってきたスーパー歌舞伎も、目指すところは同じなんだと思いますよ。古典歌舞伎は「型」が重要で、完全新作の「スーパー」はそれを演じるための「精神」をまず大切にする、という違いはありますが、古典歌舞伎だって「役の心になる」ことが重要なのは当然のことですし、「スーパー」だって格好良く舞台を見せるためには、きれいに形を決める必要がある。

……昔、巡業で『熊谷陣屋』をやることになったとき、大成駒(六代目中村歌右衛門)と先々代の中村屋(十七代目中村勘三郎)のおやりになった映像を、一座のみんなで見たんですよ。そうしたら、テレビのホームドラマをみるようなゾクゾクするような迫真性があって――「これなんだな」と思いましたね。

古典であろうが、スーパーであろうが、芝居の根本は同じなんだ。師匠が昔からよく言っていることですが、「歌舞伎役者が上がる舞台は、すべて歌舞伎」なんです。お相撲さんの食事がすべて「ちゃんこ」なのと同じでね。だから、「スーパー歌舞伎」の演目も古典と同じように扱われるのではないか、もうそういう時代になっているんじゃないか。そう思うことはありますね。

歌舞伎座・三月大歌舞伎のサイトはこちら https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/745

Share

0%

関連記事