初春の歌舞伎座、27日までの「壽 初春大歌舞伎」で、松本幸四郎さんが第二部『
――1月の歌舞伎座、幸四郎さんのファンにとっては『十六夜清心』が注目です。河竹黙阿弥が書いた世話物を、「高麗屋」の幸四郎さんが演じるのはちょっと意外だったのですが……。
幸四郎 叔父(二世中村吉右衛門)が二度ばかり清心を演じているのですが、確かに高麗屋/播磨屋では珍しい演目かもしれないですね。会社(松竹)から話があって、驚きと同時に喜びを感じました。黙阿弥の得意技とも言える、爽快感のあるお芝居ですからね。上演するにあたっては、松嶋屋のおじさん(当代片岡仁左衛門)に色々と教わりました。
『十六夜清心』は安政六(1859)年に初演された黙阿弥の名作。破戒僧の清心と対になるのが遊女・十六夜で、今回は中村七之助が演じている。清心・十六夜の美男美女コンビはこれまで、十一世市川團十郎・七世尾上梅幸、尾上菊五郎・中村時蔵、片岡仁左衛門・坂東玉三郎などの組み合わせで演じられている。
――なるほど松嶋屋さんから、ですか。『女殺油地獄』など、幸四郎さんは他でも仁左衛門さんの芸を継承していることが多いですね。
幸四郎 おじさんは、やはりこの芝居を得意にされていた勘弥のおじさま(十四世守田勘弥)から学んでいらっしゃるんですよ。その型に、松嶋屋のおじさん自身が疑問に思ったことを加えながら、役を作っていかれた。そういうおじさんの姿勢をならって、自分なりの清心ができればいい、と思っています。
もちろん、父(松本白鸚)の芸、叔父の芸である「時代物」はきっちり受け継いでいかなければいけない、と思っています。こういう歌舞伎らしいものをどうやって皆さんにお見せするか、喜んでいただけるか。大きなテーマですから。そのうえで、いろいろなことに取り組んでいきたいです。
――新作歌舞伎にも積極的に取り組んでいらっしゃいますよね。
幸四郎 せっかく「歌舞伎NEXT」という枠も作っていただいたことですし、「新しい時代の歌舞伎」には継続的にチャレンジしていきたい。さらに、昔あった作品の掘り起こし、再上演も積極的にやっていきたい。
古典でも新作でも、舞台にかける時は、常に後の時代につなげていかなければ、と思っているんですよ。澤瀉屋のおじさん(二代目市川猿翁)は歌舞伎でしかできないことを拡大して「スーパー歌舞伎」を作られた。中村屋のお兄さん(十八世中村勘三郎)は歌舞伎に演出家が付くのが珍しかった時代、野田秀樹さんや串田和美さんとのコラボレーションで新しい舞台を作り出した。
それを受けた今、何をするべきなのか。役者だけでなく、台本・音楽・演出を担当する若いスタッフを育成することが必要だと、僕は思っています。
1973年生まれの十代目松本幸四郎さんは、二代目松本白鸚さんの長男。姉の松本紀保さん、妹の松たか子さんも女優、という俳優一家だ。上方歌舞伎の和事から『勧進帳』の弁慶のような荒事まで、幅広い演技力で知られ、さらに劇団☆新感線と組んだ舞台『阿修羅城の瞳』など、従来の歌舞伎の枠を超えた活動も見せている。前名の市川染五郎の八代目は、長男の齋さんが継いでいる。
――話を今回の舞台に戻します。清心というお役、見どころ、しどころはどんなところでしょうか。
幸四郎 前半、十六夜と心中を図るところまでの「悲恋」で美しい感じ、後半の小悪党な感じ、その演じ分けがやっていて面白いところですね。心中を図って死にきれず、通りかかった寺小姓を殺して金を奪う。そこで清心は「悪」に目覚めるのですが、そこの変わり目が大きな見どころだと思います。
――前半が美男美女の悲恋、後半2人がコンビを組んで悪事を働く。そういう構成は『お富与三郎』にも似てますよね。
幸四郎 まあ、でも後半、鬼薊の清吉となった清心が十六夜と一緒に、十六夜の恩人をゆすりに行く場面では、同じ『お富与三郎』でも「蝙蝠安をイメージして」と松嶋屋のおじさんはおっしゃっていましたね。前半の清心・十六夜がきれいであればあるほど、後半の2人の悪党ぶりが栄える。
僕は「完全無欠のヒーロー」よりも、どこか欠点のある人物に魅力を感じる。二枚目だけど金がない、とかね。そういう意味で、清心/鬼薊の清吉もやりがいがある。1月からは歌舞伎座も座席制限がなくなりますし、お客さんに魅力的な芝居を、今後も提供していければと思っています。
歌舞伎座新開場十周年 壽 初春大歌舞伎の公式サイトはこちら https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/803
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