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2022.9.21

【歌舞伎インタビュー】「吉右衛門の兄さんとまたいつか舞台でご一緒できるんじゃないか。そんな気持ちになってしまう」―「秀山祭九月大歌舞伎 二世中村吉右衛門一周忌追善」の中村歌六さん

2022年9月の歌舞伎座(東京・東銀座)、「秀山しゅうざんさい九月大歌舞伎」(27日まで)は、昨年11月28日に亡くなった二世中村吉右衛門さんの「一周忌追善」の興行だ。その吉右衛門さんの晩年、舞台でコンビを組むことが多かったのが、6歳年下の中村歌六さん。第一部の『白鷺城はくろじょう異聞ものがたり』、第二部の『松浦まつうら太鼓たいこ』に出演している歌六さんに追善興行に臨む気持ちや二世吉右衛門さんへの想いを語ってもらった。(聞き手は事業局専門委員・田中聡)

『白鷺城異聞』で宮本武蔵を演じる中村歌六さん(令和4年9月、歌舞伎座)ⓒ松竹

――二世吉右衛門さんが初代をしのぶために始めたのが、「秀山祭」。今年はそれが、播磨屋はりまや(吉右衛門さんの屋号)さんご自身の追善興行になってしまいました。第一部の『白鷺城異聞』と第三部の『藤戸』は吉右衛門さんがまつ貫四かんしの筆名で書かれたもの。第二部の『松浦の太鼓』は初代吉右衛門さんお得意の演目を、二世吉右衛門さんが受け継いだものです。歌六さんは『白鷺城異聞』と『松浦の太鼓』に出演されていますが、『白鷺城異聞』は初めての出演ですよね。

歌六 もちろんです。『白鷺城異聞』は、姫路市制110周年を記念して、姫路城三の丸広場で1日だけ上演されたものですから、拝見したことがありません。でも、コンパクトでよくまとまっている話だと思います。

『白鷺城異聞』…「小川家」vs「波野家」 を楽しんで

――宮本武蔵が姫路城に巣くう化け物を退治する、まるで江戸時代の武者絵のようなお話。武蔵のお役ですが、どんな気持ちで演じていらっしゃいますか。

歌六 史実に照らし合わせてみると、「巌流島の戦い」の後、「その後の武蔵」の時代のお話ですね。武蔵が白鷺城で妖怪退治をしたという伝承は実際にあったようです。まあ、歌舞伎の中で宮本武蔵という存在が出てくることはまずないので、物の怪退治に呼ばれた剣豪という一般的なイメージで演じています。

後半の(中村)勘九郎くん、七之助くんとの立廻りは「小川家」vs「波野家」(笑)。楽しんでやってます。

中村歌六さんは1950年、東京都生まれ。父は四世中村歌六で、中村米吉さんは長男。『白鷺城異聞』では、歌六さんのいとこ、五代目中村時蔵さんの次男・萬太郎さんが武蔵の息子、三木之助を演じている。

その歌六さんと萬太郎さんの本名の苗字は「小川」。中村勘九郎、七之助兄弟も、遡れば三世中村歌六の系譜につながる「ご親戚」だが、こちらの苗字は「波野」。ちなみに三世歌六の長男は初代中村吉右衛門で、こちらの苗字も「波野」である。

『松浦の太鼓』…殿さまとの会話のキャッチボールをいかに滑らかにするか
『松浦の太鼓』で宝井其角を演じる中村歌六さん(令和4年9月、歌舞伎座)ⓒ松竹

――もうひとつの出演作品、『松浦の太鼓』は、「忠臣蔵」の外伝。二世吉右衛門さんの松浦まつうら鎮信しげのぶ、歌六さんの宝井たからい其角きかくという配役で、何度も共演されています

歌六 5回は、ご一緒していますね。最初は(十七世中村)勘三郎のおじさんが(松浦の殿様を)おやりになった時に、私は近習で出していただいた。(二世)吉右衛門のお兄さんのお相手も、最初は先代の(二世中村)又五郎のおじさんだったんですよ。

――其角を演じる時には、どんなことに気を付けていますか。

歌六 松浦の殿さまは、其角にとって大事な「スポンサー」、お客さんなのですが、同時に俳諧の「生徒」でもあるわけです。ご機嫌を取らなきゃいけないけど、びてはいけない。微妙な立場なんです。

さらに言えば、其角は俳諧師なのですから、「シロウトさん」ではないんですね。世の中を面白おかしくわたっている「趣味人」であり、「洒落者」なんです。そういうところは押さえていないといけないですね。そのうえで、殿さまとの会話のキャッチボールをいかに滑らかにするか。そこが大事だと思っています。

吉右衛門さんとの思い出のお芝居

――歌六さんといえば以前は沢瀉屋さん(二代目市川猿翁)さんの一座に出演されていましたが、猿翁さんが病気で倒れられた後は、主に吉右衛門さんと共演されるようになりました。どんなお芝居が記憶に残っていらっしゃいますか。

歌六 『伊賀いがごえ道中どうちゅう双六すごろく』の「沼津」や「岡崎」、『ひらかな盛衰記』の「逆櫓さかろ」……2014年12月の『伊賀越道中双六』(国立劇場)は、吉右衛門のお兄さんが台本・演出を練り上げて通し狂言として構成したもので、読売演劇大賞の大賞をいただきましたから、印象深いですね。

『鬼平犯科帳』の「大川の隠居」も、新作ですけど、いかにも歌舞伎の「世話物」という感じの作品で忘れられませんね。晩年、お兄さんが「もう一回、『大川の隠居』をやろうよ」と仰ってました。……豪快で男らしい雰囲気のお兄さんなんですが、意外に神経が細やかで優しい所がありました。表面だけみているとなかなか分からないんですが、実はとても気を遣う人でしたね。

――その吉右衛門さんが亡くなって、11月で1年です。どんな感慨がおありですか。

歌六 コロナ禍が始まってから、吉右衛門兄さんと話す機会がなかったんですよ。芝居でご一緒する機会がなかったもので。歌舞伎座に出ていても、例えば一部と三部に出番が分かれていたら、会う機会がない。一部の役者は自分の出番が終わったら、すぐに帰らなければいけないので、三部に出る役者と接点がないんですよ。

そうしているうちに、お兄さんが倒れて入院された。でも、コロナ禍だからお見舞いすることもできない。そんな感じだから、どうしても「亡くなった」という実感が持てないんですよ。「またいつか、舞台でご一緒できるんじゃないか」と思ってしまう。お葬式に出て、お骨も上げているんですけどね。

「吉右衛門」はもう永久欠番で仕方ないかな

――「播磨屋」の屋号は、守っていかなければいけないですよね。三代目中村吉右衛門という名跡については、どのようにお考えですか。

歌六 「吉右衛門」はもう永久欠番で仕方ないかな、と思いますね。「継ぐ人」はともかくとして、初代、二代の吉右衛門の「芸」を「教えられる人」がいるのかなあ、という気がします。

ただ、お兄さんが大事にしてきた「播磨屋」の屋号は繋いでいかなければいけない。私自身、還暦の時に「萬屋」からお兄さんに相談して「播磨屋」に戻したわけですから……。まあ、幸い、息子たちも元気ですし、ちっちゃいの2人(中村歌昇の長男の種太郎、次男の秀乃介が「秀山祭」で初舞台)も出始めましたから。しばらくは大丈夫だろうと思っているんですよ。

歌舞伎座・秀山祭九月大歌舞伎のサイトはこちら https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/776

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