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2021.9.16

【新派・女優と女形1】古くて新しい、新派の舞台の特徴とは―

130年以上の歴史を持つ新派は、江戸時代から続く歌舞伎のエッセンスと明治時代以降に到来した西洋演劇のリアリズムをミックスさせて、ワン&オンリーのスタイルを作り上げた。「古くて新しい」独自の演劇世界、その象徴が、女優と女形が共演することだ。なぜそのようなスタイルが生まれたのか、両者の表現方法に違いはあるのか。10月、新橋演舞場で行われる新派公演を前に、女優の波乃久里子さんと女形の河合雪之丞さんに、「女優と女形」をテーマに語り合ってもらった。4回にわたってお届けする。(司会=事業局専門委員・田中聡)

新派の「本質」について語る波乃久里子さん(右)と河合雪之丞さん=青山謙太郎撮影
歌舞伎と西洋演劇のいいところ取り

――リアルでもあり、スタイリッシュでもある新派の芝居は、「歌舞伎と西洋演劇のいいところ取り」と言われる独自のスタイルを持っています。歌舞伎のようにせりふを歌わせてみたり三味線音楽の「糸に乗る」場面もあったりしながら、芝居のベースには日常生活のリアルな描写がある、とでもいえばいいでしょうか。そういう新派の本質を、どのようにお考えになっているのか。まずは久里子さんに伺いたいのですが。

久里子 私が常々言っているのは、新派とは「抒情的リアリズム」の芝居、ということです。

「情緒」だけでは踊りになってしまうし、「リアル」だけではつまらない。花柳(章太郎)先生や(初代水谷)八重子先生といった方を見てきて、私なりに勝手に思ったことなんですが。踊りなどの素養はなければダメなんです、新派は。だけど、リアリズムですから歌舞伎のように「首が飛んでも動いてみせる」というわけにはいかない。例えば、立ち回りをやっているときに、着物の裾を気にして直してたりしちゃダメでしょ。立ち回りの中で自然に動いていて、なおかつ手とかを使っていないのに、裾が乱れていない。それが理想ですね。

雪之丞 私は新派に入って間もないので、語れることはあまりないのですが…。新派の舞台に出させていただいて感じたことは、歌舞伎の女形にもうひとつフィルターをかけないと演じられない、ということですね。歌舞伎でも、江戸の現代劇というべき「世話物」や明治以降の新作「書き物」などのジャンルで、リアリズムの演技はあるのですが、新派ではそれらともまた違ったものが要求されます。歌舞伎の「時代物」のような大きなかつらや華美な衣装、隈取などでは対応できない。そういう違いがあるな、と思いますね。

――新派の芝居についてもう少し詳しくお話しいただけますか。

久里子 (踊りなどの)素養はなければならないんです。そのうえで、それを見せないようにする。「素人になんなさい」って(初代八重子)先生はおっしゃってましたね。例えば、家庭の主婦の役をするとするでしょ。主婦が「踊って」はいけませんよね。私なんか、大根を切るのにも「間が良すぎる」って言われましたね、(新派でよく演出をしていた戌井)市郎先生に。「(大根を切る音が)鼓や太鼓を打ってるみたい」って。様々な素養がすべてあって、全部わかってて、それを削ぎ落としていくのが新派の良さだと思います。

雪之丞 できるけれどもやらない良さ、ですね。

――そういう「リアリズム」と「スタイリッシュ」な演技の共存、新派が「虚」と「実」の芝居であるということの象徴が、女優と女形が共存していることだと思うのですが。

雪之丞 もともと新派は歌舞伎という「旧派」に対抗する形でやってきた。だから女性の役も女形中心でやってきた時代が長かった。そこに、初代(水谷)八重子さんが加入されて、女優の芸ができて芝居の幅が広がった。先生も「女形の芸」を「女優の芸」にどうやって変更していけばいいかを悩んだんじゃないかと思います。

久里子 私がうかがったところによると、オーバーに言えば、女優は八重子先生ひとりで、周りは全部女形だった。(楽屋から舞台袖まで行く)エレベーターに乗ろうと思って「待って」って言っても、無視して乗せてくれなかったとか。女形さんたちにずいぶん鍛えられた感じですね。

雪之丞 当時は主役クラスだけでなく、わき役にもたくさんの女形さんがいらっしゃったでしょうからね。

まず「女」にならなきゃいけない女形 そこから教わり作り上げた女優の芸

――八重子先生自体は西洋演劇も学んでいらっしゃいますね。

『鹿鳴館』初代水谷八重子©松竹

久里子 西洋演劇というよりも、中間演劇というでしょうか。井上正夫先生に教えていただいたんだと思いますが、『大尉の娘』というお芝居の中で、八重子先生が演じていた露子が、井上先生の父親の膝に手を付いて揺さぶる場面があるんですよ、「お父様」って。25日間興行の千穐楽の日、八重子先生が井上先生のお部屋に伺ったら、井上先生が袴をばっとおいて、その下をお見せになった。五つの指のあとがしっかりついていたんですって。「八重ちゃん、この手(の跡)がなくならないと、良い役者にはなれないよ」と言われたそうです。本当にぎゅーっとやってはいけない。でも、やっているように見せなければいけない。19歳の時に教わったっておっしゃってましたね。

……話は逸れますけど、昔、父(歌舞伎俳優の十七世中村勘三郎)が『暗闇の丑松』をやったんですよ。女房のお米を八重子先生と他の二人の女優さんとのトリプルキャストで。お米が丑松の「丑さーん」って言いながら丑松の足にしがみついて、そのまま引きずられていくところがあるんです。父が言ってました、「お前のお師匠さんは綿みたいだった」。重さを感じない。別の女優さんは「石のようだった」、もうお一方は「もう(しがみつかれているところが)痛くて足が上がらなかった」そうです。八重子先生が一番柔らかい、でも一番しがみついているように見えたって。そういうのも女形さんから教わったんでしょうね。女形さんは力を入れてぎゅーっとつかまるような芝居はしない。

――そこの演技の差にどういう違いがあるんですか。

久里子 だって女優は女優だからね、「女」をしなくてもいいじゃないですか。女形さんはまず「女」にならなきゃいけない。そこから作っていかなければいけない。私たち(女優)は無防備になってしまうんです、逆に。「女」だから。そこで芝居の違いが出てくる。だから(初代水谷八重子)先生は、白粉を塗るときにわざと手首の内側を塗らない、というようなことをやってらっしゃいました。お手伝いしている私が「ここ塗れてません」って言っても「いいの」って。私全くわからないで、1週間ぐらい同じこと言ってたんです、「ここ塗れてません」って。そうしたら「よく聞きなさい、あなた。ここ塗っていると(芝居の途中で)ここ出しちゃいますよ。塗ってないと出さない。そういう注意ができるでしょ」って教えてくれた。なるほど、と思いました。無防備にならないようにという自分への戒めだったんでしょうね。

――そういうふうに初代八重子先生は、ほぼ一人で新派の女優の芸を作られたんですね。

久里子 でしょうね。先生は多くを語らない方だったので、私が勝手に察しているだけですけど。

女優と並ぶ舞台ならではの難しさ

――新派の女形、といえば花柳章太郎先生ですが、花柳先生についてはどんな思い出がありますか。

『明治一代女』花柳章太郎©松竹

久里子 花柳先生の芸は頭の中に叩き込まれています。だけど、私は女優だから、舞台の上でどうしてもできない表現があります。女形にしかできないやり方というのがあるんです。女優さんでも「形」だけはできるけど、様にならないっていうものが。私が花柳先生から吸収してきたものをいい女形さんが出てきたらやってもらおうと、ずっと思っていて。

……だから今、雪之丞さんに『滝の白糸』なんかで「こうやっていただけない」ってリクエストしているんです。私の理想としていることを雪之丞さんにやっていただきたい。ずいぶん、取り入れてくださってありがたいです。

雪之丞 女形としての基本的なものは歌舞伎と変わらないんですけど、デフォルメできない部分が多いのが大変ですね。やっぱり男ですから身長も高いし、肩幅も広い。歌舞伎は全部男だからいいんですけど、女優さんと並ばなきゃいけないから。リアルな芝居をしていてお客さまがご覧になったとき、「異物が出てきた」と思われてはいけないですから。

久里子 それはそうですね。逆バージョンですよね、八重子先生が女優ひとりだったのと。今は女形がひとりだから。イジメはないですけどね(笑)

――現代ものの芝居をするときは、大変じゃないですか。着物でこそ、女優と女形さんとの共存もうまく行くと思うのですが。

雪之丞 そうですね。洋服でもシェークスピアものとか『サド侯爵夫人』とか、コスチュームプレイっぽいものはできるかもしれない、とは思いますけど、今、現代の普通の服だと結構キツイですね。

久里子 そうですか、雪之丞さんは出来ると思うけども。まあ、役柄にもよるんでしょうね。

(2回目に続く)

対談の様子を動画でも!

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◆十月新派特別公演のホームページはこちら →  https://www.shochiku.co.jp/play/schedules/detail/2110_enbujyo/

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