人形浄瑠璃文楽の太夫、
豊竹 呂太夫 が来年〔2024年〕4月、祖父・十代豊竹若太夫の名跡を襲名する。初代は江戸時代に竹本座と人気を二分した豊竹座の創始者で、名跡復活は57年ぶりとなる。力強く、豪快な語り口で「命懸けの浄瑠璃」と評された祖父の芸に刺激を受けて、さらなる高みを目指す呂太夫に、襲名への意気込みを聞いた。(読売新聞編集委員・坂成美保)
とよたけ・ろだゆう
1947年、大阪府生まれ。66年、都立小石川高校卒業。67年、祖父の死去に伴い、竹本春子太夫に入門し、祖父の幼名・豊竹英はなふさ太夫を名乗る。69年、竹本越路太夫門下に。2017年、六代呂太夫を襲名。22年から切場語り。
「お前のじいさんはな、ほんまの太夫やった」「じいさんは横綱やった。わしなんか小結やで」。八世竹本綱太夫、竹本
入門したのは祖父の死後で、直接稽古を受けた経験はない。都立小石川高校では東京大学受験を目指しながら、大江健三郎や庄野潤三、アラン・ロブグリエらの小説に心酔し、自らも小説家を夢見ていた。文芸誌の新人賞に応募したが一向に芽は出ないうえ、受験に2度失敗し、「中ぶらりんの自分を変えたい」と、20歳で文楽の世界に飛び込んだ。
十代豊竹若太夫
1888~1967年。徳島県生まれ。1950年に若太夫襲名。62年に人間国宝。理知的、心理的な表現が主流になる中、古風で豪放な語り口で、常に全身全霊でぶつかる「叫びの義太夫」と評された。「酒屋」などの世話物でも名演を残した。
自宅のリビングには、ポスター大に引き伸ばした祖父の写真を飾っている。写真に向き合い、舞台の録音テープを聞くのが日課だ。2017年に祖父の前名・呂太夫を襲名して以降、「寺子屋」「熊谷陣屋」「
演目の重要な場面を担う使命感は日に日に強まっている。呂太夫襲名後は特に、師である越路太夫の「俺とお前の喉は違う。お前はお前のやり方を見つけなさい」との言葉が思い出される。
祖父は
50歳代で視力を失い、晩年は床本(台本)が見えなくても語っていた祖父。その芸に触れてきた演劇評論家の内山美樹子からは「若太夫は70歳になってからも進化していた」と聞いた。最晩年の音源からは、気迫と勢いに任せた語りではなく、詞章の意味を観客に届けるきめ細かい配慮や緩急の使い分けが聞き取れる。
来年〔2024年〕4~5月の襲名披露公演中に、喜寿を迎える。襲名後の目標は既に定まった。「祖父が70歳を過ぎて進化し続けたのなら、僕は80歳からでも進化を遂げてみせよう」
(2023年8月23日付 読売新聞朝刊より)
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