人形浄瑠璃文楽の世界では、いつの時代も人形遣いの名コンビがヒーロー、ヒロインを演じ、舞台を彩ってきた。昭和・平成期には
「憧れるのをやめましょう」。「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)で大谷翔平選手がチームメートを鼓舞した言葉を、玉助は4月公演中、自身に何度も言い聞かせた。
本公演で初めて「曽根崎心中」の徳兵衛に配役された。相手役・お初は人間国宝の桐竹勘十郎。「憧れの先輩、文楽界のスターとの共演。芸が劣るのに憧れてしまっては太刀打ちできない。がっぷり四つでぶつかりあってこそだ」
名人・初代吉田玉男が、戦後の復活上演以来、1000回以上演じて創りあげた徳兵衛像を手本としてきた。玉助はあえて、「模倣の呪縛」から自由になろうと意識した。「まねで超えることはできない。『形はいいけど感情が見えない』となってしまう。玉男師匠を踏襲しながら自分らしさを模索できないか」
心がけたのは、勘十郎と「イキ」「
祖父は、立役遣いの第一人者、三代目玉助。大正・昭和期にスケールの大きな時代物を極めた。父・二代目玉幸も人形遣い。幼少期から楽屋に出入りし、「人形遣いごっこ」に戯れた。同じ道を選んだのは14歳の時。
生まれる前年に亡くなった祖父は写真でしか知らない。先輩は口々に言った。「おじいちゃんが泣いとるで」「おじいちゃんは
60歳代で逝った父の念願を果たし、2018年に五代目玉助を襲名。父に四代目を追贈した。
初役は、6月の鑑賞教室でも続く。「仮名手本忠臣蔵」の由良助。祖父の当たり役で初代玉男も得意とした。主君・
偉大な名人への憧れをパワーに変え、挑戦は続く。
よしだ・たますけ 1966年、大阪府生まれ。祖父は三代目玉助。80年に父・二代目玉幸(後に四代目玉助を追贈)に入門、幸助を名乗る。翌年、初舞台。6月の国立文楽劇場・鑑賞教室「仮名手本忠臣蔵」では高師直(前半)と大星由良助(後半)を遣う。
入門からちょうど40年を迎えた今年4月、一輔は「
初舞台から1年がたった16歳の頃、父が遣う雛鳥の足遣いを任された。抜てきに有頂天で、ろくに準備しないまま舞台稽古を迎えた。クライマックス「山の段」で恋人・
「もっとかわいい音を鳴らすんや」。いきなり父の怒声が響いた。「お前は遊んでばっかりおるからそうなる」。普段は物静かな父が、周囲も驚くほどの
「未熟な私に舞台の怖さを教えたかったのでしょう。足遣いが余計な動きをすると、
芸は「見て学ぶもの」で、親子でも手取り足取りは教えてもらえなかった。楽屋で練習していると、「人前で稽古するもんやない」。皆が楽屋入りする前や帰宅後、こっそり訓練した。工夫次第で向上できる足遣いの楽しさを見いだしていった。
2004年、父は65歳の若さで逝った。後ろ盾を失って簑助門下となり、芸名も「桐竹」から「吉田」に改姓した。
簑助が遣う雛鳥の、今度は左遣いを経験した。
「絶対まねできない。あんな角度の首にはならない。人形と人形遣いが一体化している。師匠の芸の謎に一生かけて迫ってみたい」
4月公演で、一輔の雛鳥の足遣いを担ったのは、13年に入門した長男の
「基本に忠実に丁寧に遣え」。父が繰り返した言葉は、今も胸に残る。長男にも同じ心構えを伝えていきたいと思う。
よしだ・いちすけ 1969年、大阪府生まれ。祖父は四代目桐竹亀松、父は桐竹一暢。83年に父に入門。2004年、父の死去に伴い、吉田簑助門下に。6月の国立文楽劇場・鑑賞教室「仮名手本忠臣蔵」では桃井若狭助(前半)と塩谷判官(後半)を遣う。
(2023年5月24日付 読売新聞夕刊大阪版より)
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