文楽界の現役最年長で、三味線奏者の竹沢団七が来月〔2023年12月〕、米寿(88歳)を迎える。入門から70年。端正でつややかなその音色は深い余韻を残す。枯淡の芸にますます磨きがかかる団七に、これまでの道のりを振り返ってもらった。(大阪編集委員・坂成美保)
今月、大阪・国立文楽劇場で近松門左衛門の「
名古屋市生まれ。娘義太夫の演者だった母、義太夫節好きの父の影響で、幼い頃から文楽に親しんだ。12歳の時に初めて文楽を見て、たちまち
文楽三味線は「模様を弾く」といわれる。模様とは、作品に描かれた情景や人物の心情のこと。「三味線は、語るんだよ」。師匠の人間国宝・竹沢弥七の教えを、団七は守り続けている。
1953年、17歳で弥七に入門する。内弟子時代から「一音」に懸ける執念をたたき込まれた。例えば「酒屋」のヒロイン・お園のクドキ(心情吐露)。〈今頃は半七つぁん〉の後に「チーン」の
床本(台本)を書き写し、人物の心情や情景を考える。詞章に書かれていない行間も、自分なりの解釈で埋めていく。減衰していく音の余韻、音と音の
81年に豪快な時代物の語り手・竹本津太夫とコンビを組み、亡くなるまでの6年間舞台をともにする。20歳年上の人間国宝は謙虚な人柄が魅力で、「わてと一緒に勉強しまひょな」と巧みにリードしてくれた。
団七は、ユーモアを交えたトークも巧みで講演依頼も多く、歌舞伎や日本舞踊との他流試合も経験した。近松を主人公にした2016年放送のNHK時代劇「ちかえもん」では、作曲や義太夫節指導だけでなく、自らかつらを着けて三味線弾きの役で出演した。
年賀状には毎年「生涯青春」と記す。「舞台で三味線を弾くことが、ただただ楽しい。何歳になっても『芸を究めた』なんて境地にはなりません。今も青春。死ぬまで修業が続きます」
◇ たけざわ・だんしち
1935年12月8日生まれ。53年、十代竹沢弥七に入門、竹沢団二郎を名乗る。翌年、初舞台。81年に団七と改名、四代竹本津太夫とコンビを組んだ。2010年度文化庁長官表彰。
(2023年11月22日付 読売新聞朝刊より)
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