柝の音の合図で紅白幕が落ちると、舞台一面に吉野山の春景色が広がる。「義経千本桜」の四段目「道行初音旅」の幕開き。満開の桜に囲まれて、杖と笠を携えた旅姿の静御前がひとりたたずむ。
静御前は、女形人形遣いの第一人者で、昨年〔2024年〕11月に91歳で亡くなった吉田簑助生涯の当たり役だった。4月の大阪・国立文楽劇場公演では、その弟子・吉田一輔が継いでいる。
長年、簑助の左遣いを勤めた一輔は、簑助が愛用した亀甲文様の裃(肩衣と袴)に身を包み、舞台に上がった。「師匠の魂が宿る衣装から力をいただき、守られている気持ちになる」という。
思い起こすのは2009年の春。簑助が人けのない舞台で何かを投げる動作を繰り返すのを見かけた。「道行初音旅」には終盤、静御前が弓矢に見立てた扇を投げ、相手役の狐忠信がキャッチする場面がある。脳出血の後遺症もあって右手が不自由だった簑助は、うまく投げられず、隠れて訓練していたのだ。
完璧主義だった師の不安を察し、「投げられなければ静御前を諦めてしまわれるのではないか」と危惧した一輔は「僕がやってみます」と申し出て、本番では左遣いが投げ、見事成功させた。師にこの役を封印してほしくない――。その一心だった。2年後、再び静御前を勤めた簑助は「次はお前やな」と一輔に言い残した。
今も大役を任される度、記録映像で研究する。簑助の目線や表情の変化まで、食い入るように観察する。「同じ演目でも毎回発見がある。師匠が亡くなってから、いっそう近く感じるから不思議です」。どうすれば首があの角度になるのか。「永遠の謎解きがこれからも続きます」
師は登場場面「出」の瞬間をとりわけ大切にした。板付きで登場した静御前は、〈見渡せば、四方の梢もほころびて〉の詞章に合わせて、ゆっくりと左右を見渡し、景色をめでる。「静御前の目に映る春らんまんの光景が、観客の目にも見えるようなら、それが理想ですね」と一輔。
「書割の桜から、こぼれる花びらの気配を感じさせる演技が理想です」。かつて記者が静御前について尋ねた際、簑助はそう答えた。書割はベニヤ板に描かれた舞台の背景画。書割や吊り枝の桜はしょせん偽物にすぎない。にもかかわらず簑助の舞台には、はらはらと花びらが舞う情景が見え、夢幻の世界が広がっていた。
舞台を彩る桜吹雪にも師の魂は宿り、弟子たちの旅路を見守り続けている。(編集委員 坂成美保)
◇ 4月文楽公演 30日まで、国立文楽劇場。通し狂言「義経千本桜」。第1部は初段「仙洞御所の段」「堀川御所の段」、二段目「伏見稲荷の段」「渡海屋・大物浦の段」。第2部は三段目「椎の木の段」「小金吾討死の段」「すしやの段」。第3部は四段目「道行初音旅」「河連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段」。11、21日は休演日。☎ 0570・07・9900。
〈吉田簑助〉 1933~2024年。1940年、吉田文五郎に入門。戦後は桐竹紋十郎門下となり、61年に三代吉田簑助を襲名。2006年にフランスの芸術文化勲章コマンドゥールを受章。人間国宝、文化功労者。日本芸術院会員。
(2025年4月9日付 読売新聞夕刊より)
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