今年度〔2024年度〕の文化功労者に、文楽界から人形遣いの人間国宝・吉田和生が選ばれた。今年77歳を迎え、円熟の芸を極める和生に、喜びの声を聞いた。(編集委員 坂成美保)
一報を受けた時は、戸惑いのほうが大きかった。吉田文五郎、桐竹紋十郎、初代吉田玉男、吉田簑助。過去に顕彰された人形遣いたちの顔が次々浮かび、「名人たちと僕が同列に名を連ねていいのか」と言葉に窮した。師匠の吉田文雀でさえ縁のなかった、身に余る栄誉だった。
愛媛県西予市出身。強く志望して、人形遣いになったわけではない。偶然の出会いに恵まれた。高校卒業後、「伝統工芸の職人になろう」と各地の工房を訪ね歩いた。
文楽人形の頭部「首」を彫る人形師・大江巳之助を訪ね、巳之助の紹介で文雀に会う。大阪・道頓堀の朝日座で初めて文楽を見て、感動とまでいかないが、「ちょっと面白いかな」と思った。
終演後、「今夜の宿はあるか。家に来るか」と誘われて文雀宅に宿泊。翌日、朝食を食べながら「ところで、どないする?」の問いに「やります」と答え、入門が決まった。1967年のことだ。約5年間、住み込みの内弟子として学んだ。
「なぜ、人形遣いになったのか今でも不思議です。何となく師匠と波長が合った。好きな本をたくさん読めること、休日に関西の寺社巡りをできることが、ただうれしかった」
「芸は盗め」と、教えない修業が当たり前の時代。文雀の指導は変わっていた。「何でも聞け。わしが20年かけて覚えたことがひと言で伝われば時間短縮になる」と、人形の首を支える胴串の握り方まで、隠さずに見せた。
師に導かれ、和生は「先代萩」の政岡、「仮名手本忠臣蔵」の戸無瀬、「冥途の飛脚」の忠兵衛など女形、立役の両方で広い芸域を獲得していった。今月(2024年11月)、国立文楽劇場で上演中の「忠臣蔵」では、師の当たり役でもあった塩谷判官を遣っている。
「毎回、この役を遣うのは最後かも、と覚悟して挑んでいる。師から受け継いだ技術、蓄えた芸を、若い世代に伝えていきたい」
(2024年11月8日付 読売新聞夕刊より)
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