東京・国立劇場で12月、チャップリンの名作映画「街の灯」の舞台を江戸に置き換えた歌舞伎「
大和田(以下、敬称略) 本日は「Chaplin KABUKI NIGHT」 にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。お楽しみいただけましたでしょうか。今日がチャップリンの命日ということでございますので、チャップリンに
大野 どうぞ、よろしくお願いいたします。
大和田 それでは、お待たせいたしました。松本幸四郎さんに登場していただきたいと思います。皆さん、 花道を ご注目ください。幸四郎さん、どうぞ。
幸四郎 メリークリスマス! 今日は、チャップリンさんの命日ということでございまして、その日に、この作品を自分が上演できるというのは、本当に幸せに思っております。短い時間ではございますが、お付き合いのほど、どうぞ、よろしくお願いいたします。
大和田 今、幸四郎さんからもお話がありましたけれども、今日は、チャップリンの命日ということで、1977年、チャップリンが亡くなった時、世界中でいろんなエピソードがあったと思うのですが、お聞かせ願いますか。
大野 チャップリンが貧しい幼少時代を過ごしたというのは、今ではみんな知っているのですが、絶対、自分の子どもたちには言わなかったそうです。でも、1年に1度だけ、クリスマスの時、「ぼくが子どもの時には、オレンジ1個しかもらえなかった」と寂しそうに言うのを聞いたそうです。
チャップリン自身は、クリスマスがあまり好きではなかったようなのですが、42年前のクリスマスの日、チャップリンは88歳。プレゼントを見て喜ぶ孫たちの声が聞こえるように、寝室のドアを半開きにしておいたそうなんですが、午前4時頃、いつも寝ていたベッドから猫ちゃんがいなくて、奥さんが異変に気付いて、(見に行ったら)亡くなっていたそうなんですね。その時は、本当に、日本を含めて、各国の新聞がもちろん一面で報じました。
日本では、ちょうど、「放浪紳士チャーリー」という伝記映画の上映中だったそうで、外電が入ってきて、「ただいま、チャーリー・チャップリンさんが亡くなられました」と。映画館では、全員が号泣したという話があります。
世界中でのいろんな反応がありましたけれども、一つだけ紹介しますと、偉大な映画監督のフェデリコ・フェリーニが、ひとことで単的に、「彼は、私たちすべてにとって、アダムであり、イブであった」と追悼しました。
大和田 そういうチャップリンですけど、今回、もとになった映画が「街の灯」で、その一場面をパネルにしました。幸四郎さんにとっては、どんな映画だったのでしょうか。
幸四郎 私自身、チャップリンの作品が好きでございまして、子どもの頃から見ていました。ちょうど、28年も前になるのですが、 (13代) 守田勘弥さんという方の写真集が出まして、その中に、「蝙蝠の安さん」という写真がありました。そこに、ちょっと短いコメントで、チャップリンの「街の灯」が歌舞伎化されたものだと書いてあって、あっ、自分が好きだったチャップリンと歌舞伎の共通点があるんだなということを知って、それ以来、上演を夢見てきた作品です。
「街の灯」自体もとても
大和田 「街の灯」という映画自体も、出来上がるまでに、ずいぶん、時間がかかったそうですね。
大野 そうですね。これは、1931年の公開になりますが、制作に約700日ぐらいかかっているんです。当時、トーキー映画が、言葉(音声)が発生する映画が出てきていたのですが、チャップリンは、サイレントのパントマイムの映画にこだわって、本当に魂を込めて、700日間で作ったということです。
大和田 幸四郎さんも、28年前に写真を見てから、28年間かけてここまで作り上げたと言っていいのではないかと思いますが、長い道のりで。
幸四郎 そうですね。本当に、この作品を上演したいという思いがあり、また、大野さんとも、それでお会いするご縁ができた。それでも、15年前の話で。でも、自分自身は、こんなことがあったらおもしろいな、あんなことをやってみたいなと思うと、それが変わらないといいますかね、ずっと思い続けられるような性質みたいなので、だからこそ、できたのだと思いますし、それが、今年、生誕130年という年であり、今日、公演中にチャップリンの命日がある、そういうときに上演できるというのは、時間はかかりましたが、上演するのは今だったんだなと、強く感じています。
大和田 12月の公演としては、今年の1月ぐらいから徐々に(準備が)始まって、実際の舞台は一気
幸四郎 そうですね。28年思い続けてきましたけど、稽古期間は7日間という(笑)。とても短い時間だったんですけれども、準備はその前から、もちろんしていますが、皆さんがそろっての芝居の稽古というのは、7日間で、一気に作り上げたという感じです。
それまでに、道具をはじめ、いろんなものはもちろん前々から準備をしておりましたので、実際に使ってみてどうなるか、音楽も実際に作ってみてどうなるかということで、それは、稽古に入ってから(本番)初日の前日まで、自分たちが勘というか神経を、そして、感性をどれだけ研ぎ澄ませて敏感にいられるかという思いで稽古に取り組んでいました。
大和田 今日、皆様が(国立劇場に)お入りになられたときに出迎えた幸四郎さんのお姿の写真ですね、この
幸四郎 扮装といいますか、実際に、具体的に何かをするというのは、ポスター撮りが最初でした。そこで初めて扮装するわけですけど、主人公の扮装、拵えによって、他の役や登場人物の拵えも決まっていくので、責任重大なものでした。かつらは床山さん、
顔のメイクは自分でするんですが、化粧、かつら、衣裳、それぞれが作り上げてきたものがちゃんと成立するか、マッチするかというのは、ポスター撮りになってみないと分からないというところがあったので、すごく緊張と責任を感じていました。ですから自分自身でも、この世界観がひとつ出来上がったなという思いがありました。
大和田 扮装されるまでに、普段だと30分かそこらでできてしまうのが、2時間ぐらいかかりましたね。
幸四郎 すごくかかりましたね。自分の持っている、使うであろうと思っている化粧道具をたくさん持っていきまして、前に並べて、さて、どれから使い始めるか、そういうところから時間を使いました。いつもの何倍も時間がかかったお化粧でした。
大和田 大野さんにも来ていただいて、2時間ぐらいかかって、(幸四郎さんが)出てきたとき、なんとなく、その場にいたみんなが、十数人いたと思いますけど、ほうっーという、なんとも言えない雰囲気がありましたですよね。大野さんは、覚えていらっしゃいますか。
大野 歌舞伎になったチャップリンがそこに現れた奇跡の瞬間を目の当たりにして、本当に、全員から、どよめきが起こりましたし、写真撮影が終わった後、拍手が湧き起こって、本当に、新しい世界、新しいキャラクターが生まれたと感じました。あっ、きっと、チャップリンご本人が最初に扮装したときの奇跡といのは、ああいうことだったんだろうなというのを、100年以上たって、追体験できるとは思いませんでした。
大和田 衣裳は斬新で、しかも、歌舞伎になっているというのは、相当、お考えになられた?
幸四郎 そうですね。(13代)守田勘弥さんが初演された時というのは、いわゆる、切られ与三郎 のお芝居(「
みすぼらしい浮浪者の役回りで、貧しい格好をしている。何かないかなと思って考えたところ、「東海道四谷怪談」の
あと、文字が入っているのですけど、これは、歌舞伎で「
大和田 我々は、写真撮影の時に見ていますので、もちろん、衣裳のデザインというのはわかるのですが、短い7日間の稽古の初日でしたかね、柄のコピーを、はさみとノリで……。
幸四郎 この芝居のお
ただ、無地の幕の前だとあれなんで、衣裳の柄をどうにか使えないかなと思いつきました。ただ、稽古初日ですので、もう8日目が本番なんです(笑)。1週間前に幕を作ってくれというのですから、「デザインはどうする」というところは、はしょれるのではないかと思って、衣裳の写真を撮って、プリントして、はさみとノリで幕を作って、「例えば、こんなんでどうでしょう」というところから始めたんです。無謀な話でありえないんですけれども、そこを、できない、無理だということにはならずに、舞台稽古の日に完成したという。本当に、これは、ありがたいことでした。
大和田 稽古場に入ってくるなり、はさみで紙を切り始めて、ノリでつけている。何をやっているんだろうと、みんな、思いましたね。
大和田 (原作の)木村
幸四郎 そうですね。映画から、舞台になる場合というのは……。映画は比較的、場面が多いんですね、1分、2分ぐらいの場面で、どんどん展開していく。舞台でそれをやることは、なかなかできません。ただ、あえて場面の数は減らさないで、転換の仕方、また、道具のつくりで処理できるようにしていきましょうということで、場面は減らさなかったですね。ですから、お灸の場面を、踊りとして一人で表す手法でやったり。
道具も、大仏にいたっては、両手と鼻しかない。大きさは想像していただきたいというような、そんな作りになっていました。
大和田 守田勘弥さんの歌舞伎では、大仏の場面が、昔の読売新聞の写真として残っているのですね。それを見ると、やっぱり、ちゃんと作ってはいるんです。ただ、歌舞伎の舞台というのは横長で、高さはそこまで出ませんので、どう見せるのか、非常に苦労していたようです。
我々も、そこをどう見せるのかということで、少しずつ、抽象的というと変ですけれども、一つひとつのパーツの大きさから想像していただくという方向で固まっていきました。それは、幸四郎さんも、あんまり現実にこだわらなくていいんじゃないかということで、ご覧いただいたような配置になってきた。さらに、そこを宙乗りで飛ぶという。なんなんだという感じですけど。
幸四郎 そうですね。これも、チャップリンさんの表現力の豊かさを映画で感じられるので、そういうトリッキーなことをやらないと成立しない作品ではないかと思いました。まずは最初の場面で、ワイヤーを使って飛びました。
大和田 今日、大道具、さまざまな道具をご覧いただいたわけですが、大野さん、歌舞伎の舞台をご覧になって、映画のセットとは違うわけですけど、どんなふうにお感じになりましたか。
大野 実は、今回、歌舞伎のセットで、チャップリンの「街の灯」のセットと、一つ共通点がありまして、今回、お相撲のシーンの観衆は全員、絵ですよね。チャップリンのボクシングのシーンなのですけれども、何百人かエキストラがいるんですけど、半分ぐらいは絵なのですよ。
大和田 そうなんですか。
大野 そうなんですよ。だから、そこは、なんというか、偶然の共通点で、非常におもしろく拝見いたしました。
大和田 まあ、今回は、全部、絵ですけどね(笑)。これは、幸四郎さんも、やっぱり、こだわりがおありになる。
幸四郎 そうですね。場面ということ、アクティングエリアのみといいますか、それに集中した道具ということで、国立劇場の美術の方に本当に素敵な世界を作っていただいたなと思っています。相撲の場面も、いわゆる試合、戦いという場面ですけど、それが「踊り」的に相撲の取組が表現できればという思いがあったので、見物人が絵という、また、色がついていないのが、とても素敵だなと思いました。
大和田 大道具以外に、小道具でも、木村錦花はこれを江戸の芝居にするために、いろいろ置き換えているんですけど、まあ、置き換えられなかったのが、花売りですけども。お花が手押し車を押している。これは?
幸四郎 お花は花売りなので、本来、かごを持つのでしょうけども、歩くうえでは
大和田 我々も全然、知らなった。稽古の初日、坂東新悟さんが、これを押すことになりましたと写真を見せてくれた。ひそかに作っていらっしゃったのですね。
それと、もう一つは、ウサギの足。「これ、なんなんでしょうか」とよく聞かれましたが、チャップリンの「街の灯」の中で使われている。これは、やはり、ヨーロッパとか、米国の文化ですね。
大野 そういうのがあるみたいですね。やっぱり、花とウサギの足だけ、変えなかったというのは、錦花さんのおもしろいところでもありますよね。
特に、花の方は、浮浪者と娘がやり取りするというのは、お花とお金だけなんですよね。だから、人の心か、お金か、という二重の意味がありますし。花屋さんって、江戸時代にはなかったのですよね。ないのだけれども、それを取り入れるというのが、すごくモダンなところでもありますし、大きく違うところは、長屋のシーンで、チャップリンの原作にありませんから、そこは、本当に江戸歌舞伎でございますし、本当にいろんな良い面が取り入れられて、おもしろい台本ですよね。
大和田 そこを、いかに短くしつつ、エピソードを残すか。ただ、エピソードを残すと、どうしても、細切れで一つひとつが薄くなるのを、一つのお芝居として見せたいというのが、幸四郎さんの強い意志でもおありになった。
幸四郎 そうですね。ノンストップでできるような、また、展開も、場面から場面へつながっていくような感じでできればと思いました。
大和田 市川
幸四郎 ええ、困った人ですよねえ(笑)。
大和田 言ったもん勝ち。
幸四郎 まあ、どうやっても、どうとも受け止めて、倍にして返してくるという。楽しんでやっています。
大和田 さあ、時間もあっという間に過ぎてまいりまして、幸四郎さんから、最後に、今日、お集まりのお客さんに一言。
幸四郎 はい、今日は、本当にありがとうございました。命日にこうやって、チャップリン歌舞伎ナイトとして上演できたのは、本当に幸せに思っております。明日、千穐楽を迎えまして、私自身も、これで今年の仕事納め、舞台納め、勤め納めになります。またまた来年も、新たにいろんなものに取り組んでまいりたいと思いますので、ぜひとも、歌舞伎をご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。本日は、どうも、ありがとうございました。
歌舞伎「蝙蝠の安さん」の作者・木村錦花は、昭和6年(1931年)、読売新聞に小説版を連載しました。当時の新聞記事から、小説を読んでみませんか?
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【深掘り 蝙蝠の安さん〈上〉】映画は上映前?! 新聞小説が歌舞伎になった「安さん」と戦前のチャップリン熱狂時代
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