2021.6.11

弁慶いろいろ、役者もいろいろ――歌舞伎座六月大歌舞伎で『御摂勧進帳』が上演中

武蔵坊弁慶は、我が国有数のポップヒーローである。

情が深く義に厚い。強力無双で直情径行。少しばかり脱線するところもあるが、それもご愛嬌あいきょうだろう。世紀の美少年・義経との主従物語は、軍記物語や琵琶法師の語りなど、様々なメディアを通じ、何百年にもわたって語り継がれてきた。歌舞伎も例外ではない。『勧進帳』『義経千本桜』『船弁慶』『橋弁慶』……。弁慶の物語は数多く、どれも人気だ。

6月3日に開幕した歌舞伎座の「六月大歌舞伎」。第一部で上演されている『御摂勧進帳ごひいきかんじんちょう』でも大暴れする弁慶。演じているのは、御年55歳、そろそろベテランの域に差し掛かる中村芝翫さんだ。これまで様々な弁慶を演じてきた経験を踏まえ、「人間として、一番親近感が持てるのは、『弁慶上使べんけいじょうし』の弁慶ですかね」と笑いながら話す。

「『弁慶上使』はいかにも義太夫狂言という芝居ですね」と笑う芝翫さん
『弁慶上使』  わが子の命を奪う運命に…

義太夫狂言「御所ごしょ桜堀川ざくらほりかわ夜討ようち」の三段目にあたる『弁慶上使』は、源平合戦の直後、義経が兄・頼朝と不仲になり始めたころの話だ。

義経が頼朝と不仲になった原因のひとつが、家族の問題。義経が平家の重臣・平時忠の娘・卿の君を妻にしたことで、「平家と内通しているのでは」との疑いをかけられたのだ。この疑いを晴らすためには、卿の君を殺し、その首を差し出すしかないようだ。だが、懐妊中の卿の君を殺すには忍びない。そこで義経側近が考えたのが、卿の君によく似た顔立ちの腰元・しのぶを身代わりにすること。ところがしのぶには、その母・おわさだけが知っている出生のヒミツがあり……。

弁慶にはいくつか「設定」があって、「生涯不犯ふぼん」「一生泣いたことがない」などがそう。「そうはいっても、芝居に登場する弁慶は、大体泣くんだけどね」と芝翫さんは、また笑いながら説明する。『弁慶上使』は典型だ。実は、「生涯不犯」のはずの弁慶が、「ただ一度だけ」女性と関係を結んだことがあり、その相手がおわさ。一度の情事で妊娠し、生まれたのがしのぶだったのだ。上使となってやってきて、初めて自分に娘がいることを知った弁慶。主君の危機を救うためとはいえ、その命を奪わなければいけない運命に、「流したことがない」涙を流す。

〽産れた時の産声より、ほかには泣かぬ弁慶が三十余年の、溜涙一度に乱すぞ果てしなき(床本より)

芝翫丈のまぶたの裏には、大叔父・六世中村歌右衛門の演じたおわさの姿が焼き付いているという。仕事と家族の板挟みになる人間・弁慶。「(『弁慶上使』は)人物設定がはっきりしていて、その苦悩が伝わりやすい。いかにも芝居らしい芝居で、何度も演じてみたい役です」

『勧進帳』 これぞ「ザ・カブキ」というお芝居

「一度も泣いたことがない」弁慶が涙を流すのは、『勧進帳』も同じだ。能の「安宅」をもとに作られ、市川團十郎家のお家芸「歌舞伎十八番」の中でも特に人気が高い一曲。「七代目、九代目の市川宗家(團十郎)が作りあげ、さらに七代目の高麗屋さん(松本幸四郎)が練り上げた。隅々まで構成が行き届き、洗練された芝居です」と芝翫さんはいう。

兄・頼朝との仲が決裂した義経主従。奥州への逃避行の途中、加賀国・安宅の関(現在の石川県小松市)を山伏姿で通過しようとする。しかし関守の富樫のもとには「義経一行が山伏姿で逃走中」との情報がもたらされており、「偽山伏は通せぬ」と通行を拒否される。「われわれは焼失した東大寺再建のための勧進を行っている本物の山伏。本物の山伏は通ってもいいはず」と主張する弁慶。富樫との間で丁々発止のやりとりが行われる……。

勧進帳を読み上げ、富樫との問答に応ずる弁慶。その堂々とした立ち居振る舞いに感服し、富樫は(うすうす一行が義経主従と気付きながら)通行を許すのだが、一行中のひとりの強力(荷物持ちの従者)が「義経にそっくり」と、富樫の部下が言い出す。その疑いを晴らすため、手に持った金剛づえで義経を打擲ちょうちゃくする弁慶。関所を通った後、非礼をわびる。そこに出てくるのが、この有名な長唄の詞章。

〽ついには泣かぬ弁慶も 一期の涙ぞ殊勝なる

この弁慶について、芝翫丈はいう。 「とにかく、他の芝居、他の役とは比べものにならないくらい緊張するんです、舞台を背負わなければいけない重圧で。最初の頃は、花道に最初に出る時に、『無事にこのお幕に戻って来られるのか』と思ったくらい。自分の芸がどこまで持つか、震えて汗が出ました」

『勧進帳』の弁慶は「やはり特別」という芝翫さん

生きるか死ぬかの瀬戸際の悲壮感。絶体絶命の状況を知恵と胆力で切り抜ける人間の大きさ。「紀尾井町のおじさん(二代目尾上松緑)、(初代松本)白鸚のおじさん、(十二代目市川)團十郎のお兄さん。いろいろな方の弁慶が記憶に残っています。また長唄の詞章がいいんですよ。〽旅の衣は篠懸の~~という出だしから。これぞ『ザ・カブキ』というお芝居ですね」

『御摂勧進帳』  見る人を魅了するエネルギーと存在感

その『勧進帳』と好一対なのが、現在上演中の『御摂勧進帳』。設定は大体、『勧進帳』と同じなのだが、雰囲気はずいぶんユーモラスだ。

安宅の関で「偽山伏は通さん」と言われた義経主従。勧進帳を読み上げるなどの弁慶の活躍で、一行はなんとか関所を通ることができる。しかし、疑いは完全には晴れていない。弁慶はひとり、縛られて関所に取り残される。「おまえは弁慶だろう」と詰問され、「自分は違う」とメソメソ泣きながら「あの山伏たちは今どの辺りだろう」と繰り返す弁慶。番卒が「すでに三里ぐらい先だ」といい、「安全な所まで逃げ切った」と判断した瞬間に、「おれは弁慶だ」と正体を明かし、暴れ始める……。

こちらの泣き方は小さな子供のウソ泣きのよう。「稚気にあふれた弁慶で、いかにも荒事という感じがします」と芝翫さん。暴れ始めた弁慶は、番卒たちの首をねじきり、その首を大きな天水おけに放り込んでつえでかき回す。その姿が芋を洗っているように見えることから、「芋洗い勧進帳」とも言われる。ちなみに荒事とは、初代市川團十郎が創始したといわれる荒々しく豪快な演技のこと。「荒事は小児の心で演じよ」という口伝もあり、超人的な強さを持った英雄豪傑をスコーンと抜けた明るさでエネルギッシュに見せるのが特徴だ。

「紀尾井町のおじさん(二代目松緑)が演じたときは、まるで舞台上でゴムまりがはねているような勢いがあって、おじさんが演じる『勧進帳』の重厚さとはまるで逆でした」。『御摂勧進帳』の成立は、『勧進帳』よりも前だという。古怪で豪快、善悪関係なく、舞台をかき回し、エネルギーをまき散らす存在。まるで「西遊記」の孫悟空のようなトリックスターなのだ。

『御摂勧進帳』の弁慶は「戦隊もののヒーローのよう」という芝翫さん

「三津五郎のお兄さん(亡くなった十代目坂東三津五郎)が初演された時、私はその前にこの芝居をやっていたんですけどね、『幸二(芝翫さんの本名は中村幸二)、これは型がどうのこうのいう、だれにどう習うかという芝居じゃないね』という話になった」と明かす。

「『これまで俺たちがどんな修業をしてきたか、役者としてどんな力量を身につけてきたのか、それが試される芝居だね』って。全くその通り、と思いました。一見アバウトでおおらかに見えるけど、お客さんをき付けるエネルギーと存在感を舞台上で示さなければいけない。『勧進帳』とは全然違う種類の難しさがある」

人間味にあふれた『弁慶上使』、重厚で豪放な『勧進帳』、そしてエネルギッシュなトリックスターとして登場する『御摂勧進帳』。同じ弁慶でも、芝居によって見せる顔が違う。「キャラクターがはっきりしているから、どの部分を強調するかで描かれ方が変わるんでしょうね」。そこに演じる役者の個性も加わって、様々な弁慶が舞台上に現れる。

弁慶いろいろ、役者もいろいろ、なのである。

今やベテランの域の芝翫さん。「後輩に伝えるべきものは伝えていかないと」という

「六月大歌舞伎」は28日まで。『御摂勧進帳』には、富樫役で中村鴈治郎さん、義経役で中村雀右衛門さんなどが出演。今回、荒事を演じた中村芝翫さん、「七月大歌舞伎」では『身替座禅』の嫉妬深い奥方、玉の井を演じる。

(文・読売新聞デジタルコンテンツ部 田中聡、インタビュー写真・青山謙太郎、舞台写真はすべてⓒ松竹)

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