今年、東京では観測史上最速、3月14日に桜が開花し、すでに葉桜となっている木も多いが、やはり4月は桜の季節である。そこで今回は桜の意匠のボンボニエールをご紹介、ということで調べてみたところ、桜意匠のボンボニエールが数多くあることが判明した。やはり日本人は桜が好きなのだと改めて実感した次第である。
まずは桜の花の形そのままずばりのボンボニエール。山階宮萩麿王の成年式祝宴のものである。山階宮萩麿王のお印が桜、と思いきや、萩麿王のお印は菊。恐らくは萩麿王が海軍少尉であったことから、この意匠になったのではないかと推測する。海軍のマークは「桜に錨」なので。
上皇ご夫妻は昭和34年(1959年)4月10日、桜の季節にご結婚された。そのご結婚25年を祝する銀婚式のボンボニエールは、蓋表に桜、蕊の部分に上皇さまのお印である「榮」を配する。では、上皇后さまのお印「白樺」はどこに?と探すと蓋裏に白樺の花折枝があるのである。上皇后さまの寄り添うお気持ちを表しているようで、心がほんのりと温まるボンボニエールである。
こちらのボンボニエールは手前味噌となるが、学習院オリジナルボンボニエールとして販売されているものである。学習院について、今まできちんとご紹介したことがなかったので、今回ちょっとお話ししたいと思う。
学習院は明治の初めに華族子女の教育機関として、華族会館により設立された。
明治維新の翌年、明治2年(1869年)6月17日に版籍奉還が行われた、ということは歴史の教科書で学んだと思う。その同じ日に出された行政官布達により今までの「公家」と「大名」の身分をなくし、華族という新たな身分制度が作られた。その華族に対して、明治4年(1871年)に明治天皇から「華族たちは社会的責任を果たさなければならない」とのお言葉があった。その実現のためには華族の結束と教育が必要であった。まずは海外へ行き見聞を広めるために、岩倉使節団を派遣し、明治7年(1874年)には華族会館を設立、そして、華族子女の教育のための学校を創設したのである。
明治10年(1877年)10月17日天皇・皇后の行幸啓の元、学校開業式が行われ、天皇より「学習院」という学校名を賜った。「学習院」はもともと幕末の弘化4年(1847年)に京都御所東側につくられた公家のための教育機関で、嘉永2年(1849年)には孝明天皇から「学習院」の額を賜ったことから、その名で呼ばれるようになった。その額も明治天皇より同時に下賜された。この額は現在、当館収蔵庫に大切に保管されている。
学習院は明治17年(1884年)からは宮内省立となるが、戦後は私立学校となった。
明治のいわばセレブのために設立された学習院には「日本で初めて」導入されたものがいろいろある。その筆頭は制服とラ ンドセルであろう。開校2年後の明治12年(1879年)に導入された「海軍士官型詰襟制服」は、ほぼ形を変えることなく現在も着用されている。その制服の帽子には徽章がついているが、それは桜の意匠であり、この桜が学習院のシンボルとなった。
目白の学習院のキャンパスには明治・大正時代に建造された校舎も残り、ここそこに桜の意匠が隠されている。キャンパス自体にも数多くの桜の木が植えられており、春は桜の名所となっている。
来年の春、ぜひとも桜と桜の意匠を見に学習院へお越しください。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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