手前に左を向く栗毛の2頭、奥に右を向く芦毛の1頭。躍動感あふれる3頭の馬が描かれた大柄な大堀相馬焼の青磁調花瓶です。「走り駒」とよばれるこの図像は大堀相馬焼の特徴で、相馬藩の御神馬を描いたものと言われます。「青ひび」とよばれる美しい貫入(本体の素地と釉薬の違いによる表面の細かいひび割れ模様)は特有の墨入れがなされ、図像を際立たせます。花瓶の縁にあたる口縁には金彩が一条めぐり、全体を華やかに引き締めます。画面の背面下部、高台(花瓶の底の支えの部分)近くに小さく制作者の号「相馬半勝」「山力」の印が押されています。高さ30・2センチ、口径19・3センチ、胴径33・8センチ、高台径22・1センチ。
この作品は、秩父宮家の御遺贈品に由来します。秩父宮勢津子妃は会津藩9代藩主松平容保の孫にあたられ、雍仁親王(大正天皇の第2皇子、昭和天皇の弟)とのご成婚後も度々福島にお成りになりました。1978年に日本赤十字社福島県大会が開催、日本赤十字社名誉副総裁でいらした勢津子妃はこの大会に臨席されました。この際に日本赤十字社福島県支部長で福島県知事でもあった松平勇雄から秩父宮家に贈られたのが、この作品です。
大堀相馬焼は、江戸時代元禄年間に相馬藩大堀村(現在の福島県浜通り地方、浪江町大堀周辺)で、半谷休閑が、地元の陶土で茶碗を作り、これに駒絵を描いて売り出したのが発祥と言われます。その後、この焼き物は相馬藩の特産品となり技術者の養成と生産向上がおこなわれ、この地の窯業は藩の庇護のもと、農家の副業として近隣に普及しました。その後300有余年の間、時代の流れの中で紆余曲折を経ながら伝統と革新の匠が紡がれ続け、78年には通商産業相(現・経済産業相)により伝統的工芸品に指定されました。
2011年の東日本大震災における福島第一原発の事故により、浪江町は災害対策基本法に基づく警戒区域などに指定され、長らく地区外避難を余儀なくされました。大堀相馬焼の各窯元も甚大な被害を受けました。ご苦労の末、多くの窯元は、現在は浪江町だけではなく同県中通り地方などにも展開し、活動を継続・発展させています。本作品を制作した半勝陶器店は、1926年(昭和元年)の創業。被災後は同県大玉村で活動されています。
本年〔2026年〕は東日本大震災から15年の節目の年。政府が「昭和100年記念式典」を開催する節目の年でもあります。皇居三の丸尚蔵館では本年秋に予定する全面開館に向けて、館員一同、準備を進めております。ご期待ください。
おだやかに、うま(馬、午)くいく一年でありますよう。(皇居三の丸尚蔵館 学芸部長 建石徹)
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「大堀相馬焼花瓶」の展示・公開は期間、会場とも未定です。
(2026年1月11日付 読売新聞朝刊より)