ここで今までのおさらいを少し。秩父宮勢津子妃が著書の題名を『銀のボンボニエール』とされたように、明治中期より下賜されるようになったボンボニエールは、現在に至るまでほぼ銀製。しかし、これまでのコラムでご紹介したように、漆塗りのボンボニエールも作られ、さらには紙製のボンボニエールがあったこともご紹介した。近年では陶磁器製で作られることも多い。
今回、ご紹介するのは銘木・
紫檀製ボンボニエールの形は六角形で、
蓬莱山とは、中国の伝説上の山。不老不死の仙人が住み、
ボンボニエールの見た目は紫檀の色合いから、
これは
この技法がどんなに大変であるのかは、蒔絵の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝の室瀬和美さんに、このボンボニエールを見ていただいた時の一言が端的に表しているだろう。「作れるけど、作りたくないな…」
いわゆる超絶技巧なのだ。正倉院の至宝の技法が千年の時を経て、皇太子の結婚という慶事の引き出物となったのである。
またこの技法は、皇族の結婚初夜、新郎新婦の枕元に共進される「
こちらの螺鈿文様は
この紫檀のボンボニエールは、松飾りのついた白木の
白木の折敷は同様だが、実はボンボニエールには2種類あることがわかっている。大変微妙な差でよくよく見ないとわからないが、一つ(写真右)は、これまでご紹介した超絶技巧。もう一つ(同左)は蓋表の松枝蒔絵がなく、御紋も螺鈿なしの蒔絵のみで、少し簡素である。それでも、もちろん超絶技巧なのだが。
皇太子裕仁親王・良子女王結婚の宮中
同じ慶事の饗宴でも、日によりボンボニエールに差を持たせ下賜する例は、皇太子外遊帰国記念の箱形波文ボンボニエールでも、また令和初のボンボニエールでも見られた。今後紹介するお話にもいくつか出てくる。位により着装する装束の色目が違う伝統を持つ皇室ならではの、これも伝統なのかもしれない。
皇太子裕仁親王と久邇宮良子女王の結婚に際しては、紫檀製のボンボニエール以外にも文庫形雲形文、卵形亀甲文、そして「
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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