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2025.3.4

【地域の宝・「観音の里」(滋賀県長浜市高月町)中】赤後寺観音堂「千手観音立像」「菩薩(聖観音)立像」― 戦火のたび川へ 失われた手足

厨子ずしの中の千手観音立像(左)、聖観音立像と、見守る世話方の3人。痛々しい姿になっても、地域の人々が大切に受け継いできた=平山徹撮影

地域で保護される文化財の中には、美術的、歴史的価値の高いものが少なくない。地域住民が守り継いできた観音像が数多く点在する滋賀県長浜市高月町は「観音の里」として、全国から注目されている。ただ、こうした地域にも人口減少、高齢化の波が押し寄せており、将来、住民の努力だけでは文化財の維持継承が困難になるとの指摘がある。

長浜市高月町唐川地区の赤後寺しゃくごじ観音堂には「コロリ観音」として親しまれている千手観音立像と菩薩(聖観音)立像が伝わる。いずれも像高は180センチ前後で、平安時代前期のヒノキの一木造り。千手観音は1911年、聖観音は69年に国の指定を受け、現在はともに重要文化財だ。

千手観音は頭上面が全て失われ、当初あった左右42本の腕は12本を残すのみ。残った腕も手首から先がない。聖観音も両手先、両足先がない。戦国時代の戦火のたびに村人が観音像を運び出し、川に沈めて難を逃れた際に破損し、流されたと伝わる。

赤後寺という寺院名が付くが、日吉神社の境内にあり、無住・無宗派の観音堂と鐘楼が立つのみだ。唐川地区の七十数世帯から選ばれた6人の世話方(2年任期、毎年3人ずつ交代)が観音堂の運営にあたっている。

滋賀県長浜市高月町の赤後寺にある「御枕石」。戦火から守るため、村人が近くの河川に2体の観音像を沈めた際、枕に使われたと伝わる

長い間秘仏とされ、重文指定を機に、一般公開を始めるかどうかという議論が住民間でなされた。手足をなくした痛々しい姿の観音さんを公開すべきでないという意見が強かったという。一般公開が始まったのは84年だった。

今年度の世話方、吉川宏さん(69)は「ご先祖が営々と守り続けてきた観音さんを、私たちも守らせていただき、地域の宝・象徴として次世代へ引き継いでいきたい」と語った。

(2025年3月2日 読売新聞朝刊より)

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