薄緑色の大きな画面に、堂々と揮毫される書。「七言古詩」は徳島藩士吉井直好の次男として生まれ、江戸時代後期に活躍した貫名海屋(名は苞、1778~1863年)の大作で、1892年(明治25年)に当時の宮内省に買い上げられた。
海屋は儒学者であり、詩人や画家としても知られるが、特に書家としては晩年に名乗った「菘翁」の号が著名で、市河米庵、巻菱湖と合わせて幕末の三筆とよばれる書の名人である。
本作の署名は「菘翁苞書」と記され、また、対幅と考えられるもう一幅の款記から、1858年(安政5年)5月、81歳時の筆とみられる。
江戸時代の書は、平安時代以来の伝統的な和様の書と、中国書法にならう唐様の書の二つの流れで語られるが、唐様のなかでも、中国東晋の王羲之や唐の孫過庭の書を学んだ影響がうかがえる本作は、文字の構築や、豊潤で流麗な線が見事である。
迫力がありながら安定した、格調の高い海屋独自の書風で、晩年の代表作といえよう。内容は唐代の詩人・杜甫の詩で、出世は考えず、残りの人生をのどかな田園暮らしで過ごそうかと詠んだもの。
実はこの書は、薄緑色の絹地全面に金銀泥で描かれた美しい下絵の上にしたためられている。白鷺や燕が蓮池に遊び、蓮は大輪の花を咲かせている。泥の中で清らかな花を咲かせる蓮の花は、朝咲き、午後に閉じ、翌日また開き、それを3回ほど繰り返して散る夏の代表的な花だが、本作は皇居三の丸尚蔵館の「百花ひらく」展で約10年ぶりに展示される。季節を先取りした清廉な蓮の花を、書とともに楽しんでいただきたい。
(皇居三の丸尚蔵館研究員 山田千穂)
◆ 展覧会「百花ひらく―花々をめぐる美―」
【会期】3月11日(火)~5月6日(火・休)。月曜休館。祝日の5月5日(月)は開館。会期中、一部展示替えあり。
【会場】皇居三の丸尚蔵館(皇居東御苑内)
【問い合わせ】050・5541・8600(ハローダイヤル)
(2025年3月2日付 読売新聞朝刊より)
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